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組合大会 [組合活動]

第16回、17年目に向けて走り出す(いや、寝そべり始める!?)フリーターユニオン福岡の組合大会を開催しました。

1年間の活動を振り返り、議案として、積み重ね、そこから新たな一歩を踏み出すための大会。
大会といっても、堅苦しいことではないけど、組織を維持し形成していくためには、このような議案と議論と反省や評価などが大切ですよね。

歴史を生み出し、残していくためには、記憶を記録として刻んでいくことが当たり前のように大事なこととなります。

それらのことを、一人ひとりの組合員の目と手と、頭と、汗とで形作っていくことしかないですね。

はい、寝そべりながらも!

結成当初の組合員から連絡があったり、久しぶりに顔を出してくる組合員がいたり、
あらためて、組合の必要性、大事さを確認する組合員らと、
また、1年一緒にやっていこうという気持ちを新にしました。

みなさん、労働問題は生存問題、生きていくさまざまな悩みや困りごとや、あれこれ、一人で悩まずに一緒に悩み、語り合える場、それが労働組合です。どうぞ、のぞいてみてください。



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通信47号発行 [組合活動]

遅ればせながらご報告。

FUF通信46号、汗と涙の結晶が発行できました。
そして、お読みくださったみなさんから、感想やカンパが届き始めました。
本音でいえないことや、本当に疑問に思うことが、なかなか共有できない社会。
きっと、そんなことが心に届いているのかなと、うれしく思い、ほっとしました。
公的に主張できないまま一人で理不尽さを訴えたいと思っている人がたくさんいることを知ります。
一人でも共鳴するひと、共有できること、それを大事にして発信していきたいと思います。

どうぞ、メッセージをくださいませ。

学習会、メーデー、と活動を継続しそこから発していく言葉を通信にして届けています。
紙媒体の通信を購読してみた方、どうぞ連絡くださいませ。

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メーデー!メーデー?寝そべりメーデー     
   2022FUF 寝そべりメーデーへ

世界は、社会は、どこから見えるのだろう?どこから見ればいいのだろう?
私たち持たざる者たちは、どんな世界を、社会を、どこから見ることができるだろう?
テレビやネットからじゃない世界を見たい。日々の賃労働のための小さな人間関係だけの社会じゃない世界を見たい。学校や社会の競争や自己責任だけで汲々とした場所じゃない世界を見たい。マスメディアにあおられた不安だらけの空気じゃない世界を見たい。
テレビを見て、遠くの誰かに思いを馳せることができるだろうか?小さな自分が、持たざる労働者ができることは何か?「何もできない」ではなく、日常の自分の生活をいったんストップして、「何もしないこと」も大事なことではないだろうか?
無理して働かない、我慢して働かない、人よりも働かない、無駄に働かない、必要のない仕事をしない、たくさん稼ぐ必要のない人が稼いでいる社会、必要なものだけを稼いで、分かち合う社会のために働こう、
「ゆっくり休もう」「ゆっくり進もう」「ぼちぼち助け合っていこう」そんな当たり前の人間の営みを思い出さねばならない社会で、忘れていた当たり前の人間らしさを取り戻していこう。街頭へとでかけて叫んで社会を見てきたけど、今年のFUFは,結成当初の信念(笑)を思い出して、ねそべりメーデー。人は、一人ではないことを思い出して、だれかとだべったり、食べたり、飲んだり、笑ったりしながら、ねそべりメーデー。目の前にいる仲間との語らいや、笑い声から、きっと違う世界が見えてくるはず。今日から、そして明日を生きるために!


 てなことで、やりました「寝そべりメーデー!」。事務所に集まって、宅配寿司をとって、食べて、呑んで、だべりあうだけの、メーデー貫徹!コロナ騒動で、人が人と集まり、食することすら制限され、形だけのマスクで顔を見せることもなく、ひいては職場でワクチンを強制され、風邪をひいても口外せず休むこともできないような空気感が蔓延するばかり・・・。そんな日ごろの鬱憤、職場で言えない本音を吐き出さんがために集まったその場は盛り上がりました。仕事をしながら社会福祉士の資格試験に合格したこと、草野球で完投したこと、親の介護という初めての経験のために思い切って仕事を辞めたこと、耐えられない仕事に思い切って病気休職をしたこと、などなど必死に働き生きる小さな営みを共有することの大切さをしみじみと感じた貴重なひとときでした。

以下、「寝そべり宣言」より
●寝そべり主義者は彼ら自身の祝日を制定する。…これらの祝いの最中、彼らは自分たちのためにではなく、他者のために多くの余暇を提供する。彼らは自分たちのためにではなく、抑圧された人々のためにこの避難所を立ち上げるのだ。
●相互扶助と自らの決定を通じて、寝そべり主義者もまた自らのコミュニティを立ち上げる。
●我々は意図的に作られた貧しさの中で互いに争うのをやめる時だ。抵抗の哲学がまさに我々の行動によって復活しようとしている。その時、寝そべり主義者はより詳細で段階的な任務を制定しよう。それまでは、まず我々に木樽を作らせてほしい。全世界の寝そべり主義者よ、団結せよ!



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