SSブログ
組合活動 ブログトップ
前の10件 | -

資本主義はなぜ私たちを幸せにしないのか [組合活動]

「資本主義はなぜ私たちを幸せにしないのか」ナンシー・フレイザー 学習会

 いまや資本主義が「持たざるものたち」を幸せにするなどと考えられるものはいない、と確信してるけれども、果たして・・・それも怪しいのか?というくらい、何を信じて生きていいのかわからない社会となっている人間社会。

 とりあえず、このテーマは資本主義で幸せにはならないことを前提に、ではなぜならないのか、そして、どうれば最低限の幸せを獲得できるのか、その道筋はどこにあるのか、どうすればいいのかといったことを示唆してくれ、自分の頭で考え実践していこうということなのであり、これは、われらがフリーターユニオン福岡の結成時からの永遠のテーマなのではある。

 みなさん、「奴隷労働」にしがみつかず、たまにはその道筋をともに考え実践していこうではありませんか?!ちゃん、ちゃん!



「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 3章~最終章

 →資本主義の構造と歴史的展開
   →資本主義を「経済」と「その他の領域」との関係として捉える
   →それらの関係がどのように歴史的に展開していったのか
    重商資本主義/リベラル植民地資本主義/国家管理型資本主義/金融資本主義

 →資本主義の構造的不正義 
※構造的とは、例えば資本主義経済の場合であれば、資本主義そのものに内在するという意味で、論理必然的とも言い換えられる。「差別のない資本主義」というものは、そもそもあり得ない。
→構造的不正義は「経済」の領域に限ったことではない。階級的矛盾に基づく階級闘争だけではなく、経済とその他の領域との矛盾から生じる「境界闘争」も資本主義の構造的矛盾に起因する。

→資本主義は経済とその他の領域との矛盾した関係によって成り立っている
→自らが依存する非経済的な要素を貪り喰う(「分離」、「依存」、「否定」、「不安定化」)
→収奪:人種差別(2章)、社会的再生産:ジェンダー・性差別(3章)、自然:環境危機(4章)、政体:民主主義(5章)
 
 →資本主義の概念の拡張に合わせた社会主義概念の拡張化が必要
 「社会主義が資本主義の不正義を改善するのであれば、資本主義経済だけを変えるのではなく、制度化された秩序全体を、資本主義社会を変えなければならない」p148
→資本主義の概念を拡張することで、資本主義が経済的な危機にとどまらず、多様な危機を生み出す傾向が見えてくる

21世紀の社会主義
「もし、社会主義が制度化されたあらゆる形の資本主義の不正義、不合理、不自然を克服するのであれば、生産と再生産、社会と自然、経済的なものと政治的なものとの関係を再構築しなければならない」p254
「社会主義社会は社会的余剰…既存の超過分と資源を具体的にどうするのかについて集団的な方法で決定して、余剰を民主的に分配しなければならない」p258
「最上位の市場は無く、最下位の市場もない。だが一部の市場はその間に存在するかもしれない」p261 
※最上位の市場:社会的余剰の配分(意思決定と計画の集団的な過程で決定)
最下位の市場:基本的必需品(支払い能力ではなく権利の問題として供給、商品ではなく公共財として提供)


nice!(0)  コメント(0) 

FUF通信51号 [組合活動]

FUF通信51号を発行。
今週中には、読者のみなさんの手元に届くと思います。
いつもカンパをしていただいているみなさんのおかげでなんとか発送にこぎつけています。
デジタルな発信がはびこり、情報が垂れ流されていく時代ですが、
どこまでも紙媒体がのころ続けることを信じて(笑)いや、これしかできないってか?!
保存版でよろしく。ゆっくりお読みくださいませ。

コメント、メッセージお願いします。






「コロナ」禍ファシズム!? つながることを恐れずに

 今こそ、崩れ行く資本制社会へのアプローチを具体的に探ることが、フリーターユニオン結成からの課題だが、コロナ禍はこれをさらに悪化させ困難を極めた。コロナ禍4年。当初、マスクをしてないことで解雇されたマンション管理人(係争後、撤回された)、バス停以外の場所でマスクをしてない乗客を降ろしたり(運転手には行政処分がなされたが)、鼻出しマスクで受験資格剥奪された受験生、そして飛行機を途中空港で降ろされマスクしてないことで刑事事件とされ起訴勾留(これについては本人著書「マスク狂想曲」が必読)、またマスクをつけての持久走時に児童が死亡するなど子どもたちのマスク着用にはさまざまな悪影響が起こっているなど、事態は氷山の一角といえよう。感染以上にコロナ禍で奪われたものは計り知れない。ほぼすべての労働現場では、これまで必要としなかった職場での負担、過重労働が蔓延し、飲食店やサービス業を筆頭に小さな事業所は次々と倒産があいついだ。その結果、人らしく生きる権利が奪われていることは明らかだ。
 当組合では、緊急事態時でないにもかかわらず、スポーツクラブの玄関ロビーから更衣室までの間マスクを外しただけで退会処分となった。ジムエリアでは着用していたし、通路での注意も一、二度だけである。明らかに行き過ぎたエキセントリックな対応であり、理不尽であろう。マスクをした「ふり」をすればすんだことかもしれないが、「ふり」をせず、この現実を記録に残すために係争し、記憶として刻むこと、これこそが私たちがなすべき「闘い」だと組合はこの裁判を全面的に支持し共に闘っている。歴史に残すためにである。年末企画において、原告組合員の報告をもとに学習を行い有意義な時間を持つことができた。
 日本社会ではコロナ禍が人々の日常を不安や貧困に陥れる一方で、世界のいたるところで「戦争」=国家による爆撃=人権侵害は続いており、これらを平然と報道し続けるだけで終止符を打つ方向には向かない。なぜか?「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」これをテーマに学習しているが、答えはここにありそうだ。コロナ禍でおきていることと「戦争」と言われることは、別次元の出来事ではない。日常と世界の動きを結んで、同じ方向へ歩んでいくための具体的な手立てをともに探っていくということだ。

 さて、「古き良き時代はあったのか」シリーズ(笑)の第3回は、名古屋市で50年近く現場教員を続ける岡崎勝さんにお願いした。戦後の激変する70年を生き、学校という労働現場で常に斬新な提案をしてきた岡崎さんの言葉は一つ一つが、含蓄深く響く貴重な内容であり「保存版」である。弱小で社会にうまく適応できないものたちの集まりであるフリーターユニオンの結成時から見守ってくださった岡崎さんの言葉は、今もなんとか企業資本と抗い続けているわれわれへの「大きなエール」と受け止めた。多くの著書や講演などで発信を続ける岡崎さんの声を読者のみなさんにもぜひ届けたい。
 年末に新しい案件を抱え、新年早々石垣島からの組合員とともに団体交渉を行うことができた。岡崎さんの言葉をかりれば「いずれにせよ闘うという緊張は職場の風通しをよくするものだ、結果的に、職場はよりましになっていくことが多い」のだ。マスクをした「ふり」ばかりしていては、なんにも変わらないのだと。(たけもりまき)

 朝鮮学校のソンセンニムたちからの投稿は今号で一旦区切りとし、今後とも朝鮮学校の無償化排除への抗議街頭行動を続けていく。多忙ななか、原稿を書いていただいた皆さんに心よりお礼申し上げます。



2024.2.9通信51号.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

FUF学習会 [組合活動]

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ~第四回~

<今回の内容>
1,前回の復習
2,2章の主題
3,各論
4,おわりに

1,前回の復習
<本書の基本命題>
・資本主義は経済とその前提条件との関係として捉える。
→(分離が)制度化された社会秩序
・資本主義の矛盾:経済的矛盾(労働と資本との矛盾:階級闘争)と4つの領域の矛盾(生態学的、社会的、政治的、人種的・帝国主義的:境界闘争)

<本源的蓄積あるいは収奪について>
・資本論1巻 第七篇 資本の蓄積過程 24章「いわゆる本源的蓄積」
 →資本主義の発生の歴史的過程について論じられている
 →プロレタリアートの創出、資本家の誕生(近代化)
→「農民からの土地収奪は、本源的蓄積過程の基礎をなしている」

2,2章の主題について(p53-63)
・2章の主題:資本主義と人種差別について
   →資本主義に人種差別は必然か
   →人種差別なき資本主義はありうるか
   →「資本主義の発達は人種差別を基盤とした蓄積の、質的に異なる体制の連続」

・なぜ、資本主義に人種差別が必然であるのか
   →資本主義は搾取と収奪から成り立っており、搾取の対象と収奪の対象を分けるも
のは人種であるため
(例:搾取の対象である日本人労働者、収奪の対象である強制連行された朝鮮人)
   →資本主義は構造的に人種差別が含まれている

・ただし、搾取と収奪の結びつきは、資本主義の発展段階に応じて変わってくる。
   →人種差別は必然であるが、差別の形は歴史的に様々な形をとる

以下、2章では次のことが論じられる
① 搾取と収奪という人種的抑圧の構造基盤
② 搾取と収奪の構図の歴史的変化
③ 新たな形の資本主義社会における、人種的抑圧の克服の可能性

3、各論について(p63-78)
①人種的抑圧の構造基盤
・資本主義をどう見るか
  →市場の交換から搾取へマルクス):搾取が無ければ資本蓄積は不可能
  →搾取から収奪へ(フレイザー):収奪が無ければ資本蓄積は不可能
  →従属労働と政治的従属が無ければ資本蓄積は不可能

・収奪:人間の能力と自然資源を没収し、資本増殖の回路に徴用し、蓄積する
(⇔搾取:資本が賃金を支払い「労働力」を購入し、剰余価値を蓄積)
 「収奪が利益を上げるためには、次のような二つの方法によって生産コストを下げる必要がある。一つはエネルギーや原材料など安価な投入物を調達すること、もう一つは食料や衣服など低価格の生活必需品を供給して、より低い賃金で生活できるようにすることだ。自由でないもしくは従属する対象から資源と能力を没収すれば、資本家は(二重の意味で)自由な労働者から、より効果的に搾取できる」

・搾取される自由な対象と従属し収奪される対象との境界線
  →「カラーライン」(W・E・B・デュポイス)とまず間違いなく合致する
  →「人種差別される「他者」を収奪することは、”労働者“を搾取するために必要な背景条件なのだ」

・収奪は政治的観点が不可欠である:収奪の対象を決定するのは政治的秩序であるため
  →国家そして国家を承認する国際システムが搾取可能な対象と収奪可能な対象を選別
  →どちらの身分も政治的に作られたものであり、人種はその選別のための基準
   「自由で搾取される対象と、従属し収奪される対象とを分ける要素は「人種」という目印である」

②人種差別に基づく蓄積体制の歴史的変化(p79-91)
・資本主義の歴史=人種差別に基づく蓄積の体制の流れ
   →搾取と収奪との関係の歴史的変化
・重商資本主義(商業資本主義):16世紀~18世紀 搾取と収奪が分離し始める時代
  →人種主体化のさきがけを生み出し、後に大きな影響を及ぼした。
   例えば、ヨーロッパ人/先住民、自由な個人/奴隷、白人/黒人
 →資産を持たないものはほぼ全員が統治の対象で、社会的身分は従属的関係であったため、人種区分はさほど明確ではなかった。

・リベラルな植民地資本主義:19世紀 搾取と収奪が明確に切り離される時代
  →工場を舞台とした大規模製造業の隆盛
  →マルクスの思い描いていたプロレタリア階級を作り出し、階級闘争を刺激した
  →搾取される労働者に資本主義システムに適合した市民権をもたらす
  →自由で白人の市民=労働者⇔従属するほかない収奪可能な被支配民という二つの人種の誕生、人種差別の固定化
  →「搾取と収奪は分離されているように見えて、全体的には重なり合っていた。安価な食糧、衣服、鉱石、エネルギーを供給できたのは周辺住民を収奪したからであり、その収奪なしには、本国の工場労働者を搾取したところであれほど高い利益は上げられなかっただろう」

・国家管理型資本主義:戦間期から第二次世界大戦以降 搾取と収奪の分離を弱めた
  →「収奪は最早搾取を排除せず、資本主義の中核の一部の労働市場で、搾取と直接結びついた」 
  →二重の賃金体系を持つ賃金労働。例:黒人は白人よりも給料が低い。
  →福祉国家の誕生による身分の差の強化
  →市民=労働者には社会保障制度の整備によって「搾取される」だけの労働者を政治的に組み込んだ。
  →「ところが、そのことはそこから漏れたものとの差をより際立たせ、彼らを憤慨させ、人種差別される「他者」にさらなる烙印を押す結果となった」
  →脱植民地闘争による植民地の独立
  →被植民者の身分の上昇は一部にとどまり圧倒的多数は従属する立場のまま
  →旧植民地国家の成長戦略は自国の住民の収奪を伴った
 
・金融資本主義:現在の主本主義体制 搾取と収奪が新しく独特の形で結びついた段階
  →経済のグローバル化・サービス化、「底辺への競争」、税収の低下・緊縮財政に伴い、以前は市民=労働者として自由な個人という身分によって保護されてきた者も収奪の対象になる
  →「債務」が収奪の原動力 
  →個人のレベル(例えば周縁国における土地の強奪、サブプライムローンといった略奪的貸付)に限らず国家のレベル(構造調整融資)でも債務による収奪が行われている
  →無防備で収奪可能な多くの被支配民、保護され・搾取されるだけの市民=労働者に加えて収奪され、搾取される市民=労働者が登場した

③人種差別克服の可能性(p91-98)
・搾取と収奪の結びつきが弱まっているにもかかわらず、人種差別が続いているのはなぜなのか?
「金融資本主義は、それ以前の体制で人種的抑圧を支えた政治的、経済的構造を解体しつつある一方、今なお人種間の格差を抱え、敵愾心を助長する」
→「現在の社会システムはほとんど全員を収奪する。そして、その社会システムの廃止を目指す、人種の垣根を越えた運動が欠如しているとき、彼らの不満は、勢いを増す右派の権威主義的ポピュリズムとなって現れる」

・人種差別なき資本主義とは
 →「有色人種が人口比に応じてグローバル金融と政治権力の高みに立つとともに、搾取かつ収奪の犠牲者が同じく人口比に応じて、政治の舞台で代表を務める体制
  →これが実現したとしても、圧倒的多数の有色人種の生活条件がさらに悪化するならば、この種の「人種差別なき資本主義」はせいぜい共喰いの機会均等をもたらすくらいのものだろう

・人種差別の克服に必要なもの
→搾取と収奪を生み出す資本主義の転換を目指す人種を超えた同盟
→自発的に生まれることは無いが、息の長い政治的努力によって可能かもしれない
 →搾取と収奪の境界があいまいな今、金融資本主義はおそらくその二つがともに廃止される素地を作り出している
「歴史が差し出す可能性を、真に歴史的な解放の力に変えられるかどうかは、私たちにかかっている」

4,おわりに~「搾取と収奪」という観点から労働運動について考える
・FUFあるいはフリーター労働運動の性格付けについて
→「搾取」される者の組合ではなく「収奪」される者の組合

 ・FUFが朝鮮学校を支援する会に賛同することの理論的根拠
  →資本主義の人種的・帝国主義的矛盾である朝鮮学校差別
  →境界闘争である朝鮮学校無償化行動にFUFが参加するのは、組合の性格上必然
 →人種の垣根を越えた
nice!(0)  コメント(0) 

ガザ侵攻への抗議デモ [組合活動]

人殺しのためのすべての兵器=金はいらない!





2024.1.8ガザデモ3.jpg



2024.1.8ガザデモ4.jpg


2024.1.8ガザデモ1.jpg



2024.1.8ガザデモ2.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

12月学習会を終えて [組合活動]

 あまりに低俗といえる今の日本の「政治」状況。金権政治という言葉も聞きあきたが、金は人を狂わせ、麻痺させ、思考を停止させるものでしかないのか?狂う人間が低俗としかいいようがないが。

 金のために必死で働く労働者も、闘えなくなってしまっている。
 人は、ただ「賃上げ」のために闘えるものではない。
 
 そこに意味があり、闘うことに尊厳があるから闘えるわけだから。
 そこに行き着くまでに、学ぶ場と時間が必要だ。

 FUF学習会は、なぜ闘うかにたどり着くまでに長い道のりかもしれないが、学んだものしか闘う足場は生まれない。闘いそのものこそが学びであることは言うまでもないが、今はその闘いが無条件にはついてこないから。一歩ずつ、今というこの不可解で混迷した腐敗しかけた社会を知ること、知るために学ばねば。

 実際、学習の場を積み重ねることで、自分自身の言葉を持て、行動へと向かっていく道筋が、一人ひとりの心のなかに生まれてきていると実感する。

 貴重な学習の場、継続は力。





nice!(0)  コメント(0) 

命令に基づき改めて団体交渉要求 [組合活動]

株式会社ほわいとりりぃ
代表取締役 福 島 義 勝 殿


                     団体交渉申入書


                               2023年11月30日
                             フリーターユニオン福岡
                             代表執行委員 丸田弘篤


拝 啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、2023年10月20日付福岡県労働委員会命令書(以下「命令書」といいます。)の通り団体交渉を申入れますので、2023年12月8日(金曜日)までにご回答いただきますようお願い申し上げます。
まずはご連絡まで。
                                          敬 具

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

昨年より団体交渉の要求を拒否し続けていた(株)ほわいとりりぃに対して、不当労働行為の救済申し立てを行ってきましたが、2023年10月20日付けをもって、福岡県労働委員会より救済命令が発されました。

労働組合からの団体交渉を拒否することは違法行為であるという、当然の結果です。
速やかに会社は団体交渉に応じることを求めます。


2023.10.20匿名命令2.jpg


2023.10.20命令匿名1.jpg



nice!(0)  コメント(0) 

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」  [組合活動]

<今回の学習会の目的>
 前回の復習が中心になります。

→内容を理解するうえで重要な説明を入れることができず、報告が不十分なものとなってしまったため。
→本書は弁証法について一定の理解が無いと、本書の論理を追うことが難しくなり、内容を理解することが困難になります。そのため、弁証法について一定触れておく必要があったが、それが出来ていなかった。

 ●社会理論を組合が学ぶ意義
  →自分たちの行っていることの理論的な意義を確認する
→現状を説明する術語を持つこと、自分たち自身の社会認識の方法を持つ

前回の内容の復習を兼ねて、ここでなされている議論が、自分たちの運動あるいは日常に、どのように関わってくるのかということを確認する。


<前回の復習と補足>

本書はそもそも何の話をしているのか?
  →私たちが今、どのような世界に住んでいるのか、どのような状況下に置かれている
のかを説明しているのが本書である。

どのような観点からなされているのか
 →マルクス主義的な観点からなされている。
→マルクス主義的とは次の二点において、そうである。

1フレイザーの理論的根拠が資本論にあるため。
2様々な問題を資本主義との関係において把握するという立場に立っているためであることと。
 
 どのような思考方法が採用されているか
 →弁証法である。弁証法的思考の特徴としては、関係とは二者ではなく三者をその
基本単位とするところにある。

 →弁証法的思考は、以前に取り上げた「正義について」でも展開されており、フレイザーの思考方法の特徴であるということもできる。

<資本主義とは何か>

資本主義:「(分離が)制度化された社会秩序」 (→分離とはどういうことか)

資本主義の特徴
   →①生産手段の私的所有、
    ②自由労働市場と自由な賃金労働の利用、
    ➂資本の自己増殖、
    ④市場の役割(商品生産への投入物の配分の決定、社会的余剰の投資決定)
    →経済が機能するためには非経済的な支援が必要とする。上記の資本主義の4つの特徴は、非 経済的な分野によって支えられている。
     →「共喰い」自分の依って立つ基盤を自ら破壊するという特徴持っている。
   
   理論的根拠
 資本論1巻での交換から生産への認識の転換によって、等価交換が不等価交換
  (搾取)によって支えられていることが明らかになった。
    →「生産の秘められた場所」すなわち、搾取の背後には何があるのかというと、収奪である。
      →交換から生産への視点の移行と価値法則から本源的蓄積への視点の移行を、同じ種類の ものとして捉えている。

資本主義の依って立つ基盤
    →商品生産/社会的再生産、経済/政治、人間/自然、搾取/収奪
     →このような分離を作り出し制度化された社会秩序が資本主義である。
    
資本主義の矛盾
    →経済的矛盾(労働と資本との矛盾)と4つの領域の矛盾(生態学的、社会的、政治的、人種的・帝国主義的)
    →経済闘争、ジェンダー、地位集団、「人種」、政治、収奪可能な周辺という4つ
の領域と「経済」との切り離しをめぐる境界闘争も含まれる
  
 <どのように自分たちの運動(日常)と関わってくるのか>
 
 労働問題と社会問題との関わり
     →労働組合が社会問題をどのように認識し、どう関わるべきか
     →労働運動に携わる人がどう振る舞っていくか

 フリーター労働運動の特徴
      →「アイデンティティ・ポリテッィクス」を経由した労働運動
        →アイデンティティ・ポリテッィクスとは、人種やジェンダーといっ
         た自己のアイデンティティに関わる権利闘争
         →個の生き方や在り方と「賃金労働」との関わりを強く意識したものになる

本書との関わりについて
    →従来の労働運動は経済闘争中心
    →FUFは本書で問題にされている境界闘争から出発している

     「労働/生存組合」という在り方は、フレイザーの「制度化された社会秩序」としての
      資本主義という認識に合致した、労働組合の在り方ではないか。
 
nice!(0)  コメント(0) 

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」  [組合活動]

定例学習会報告

 暑い夏の間、遠ざかっていた学習会スタート。
 この夏に邦訳が発行されていたので、テキストとしました。
 まあ、なんとも、どうしてくれようかというようなタイトルではありますが。おっしゃるとおりでございます。この現実を知らずして今を生きるなかれということでしょうか。
 私たちはこのような現実を生きてるのでございます。
 では、どうする??


「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 
ナンシー・フレイザー著 江口泰子訳 ちくま新書(2023年 8月10日)


資本主義の特徴は共喰い、言い換えるならば、自分の依って立つ基盤を自ら破壊するという性質を持っている。ウロボロスの輪(英語版の表紙にも描かれています)をイメージとしているが、もっと身近な例で言えばタコが自分の足を食べるというものか?

 それはどういうことかというと、資本主義は商品生産と社会的再生産、経済と政体、人間と自然との分離、搾取と収奪の制度的分離を生み出す。商品生産と社会的再生産は分離しているものの、商品生産は社会的再生産をその前提としており、経済活動は政治をその前提としており、搾取は収奪を前提としているが、前者は自らがよって立つ基盤である後者を資本蓄積のために一方的に利用するという関係に立ち、両者の関係は対立的な関係、すなわち矛盾した関係に立つことになる。このような矛盾は様々な領域で争いを引き起こす(境界闘争)。先のイメージと重ね合わせると、経済というタコの頭が、その他の自らがよって立つ領域である自分の足を食べているというようなイメージになる。

 このような資本主義理解は、資本主義を単なる経済システムとしてではなく、資本主義を以上のような分離を前提とした「制度化された社会秩序」として定義づけることで可能となる。
また、この定義は、次のような資本論の解釈に依っている。すなわち、資本の本源的蓄積を歴史性の次元あるいは暴力の次元の問題として、搾取という価値法則の前提としての本源的蓄積という収奪という形で、価値法則と本源的蓄積の関係について、論理的連関をもって理解しているということなるし、また同時に資本主義は構造的に暴力の次元を有しているということになる。

序章 共食い資本主義
 
 問題設定と、主要な概念の定義づけが行われている。現状、様々な危機があるが、それらを「共喰い資本主義」という概念によって、資本主義の矛盾とそれがもたらす危機という形で理解する。つまり、人種、ジェンダー、環境といった問題を特殊個別的な問題として捉え、それらに共通する構造的あるいは普遍的な問題としての資本主義を捉えていく。資本主義を経済システムではなく社会体制として捉えて、経済と他の領域との関係とそこから生じる矛盾について論じられている。
 経済は、例えば家族や地域社会、環境という経済以外の領域が無ければ存在することができない。言ってみれば、それらは経済が成り立つ前提条件であるともいえる。資本主義は、それらを経済が一方的に利用することを良しとする社会であるが、その結果として経済が成り立つ前提を自ら崩し経済自身が危機に陥り、結果、社会全体が危機に陥る。

「カニバル(共喰い)資本主義」。私たちを今日の状況に追い詰めた社会システムを、私はそう呼ぶ(p8)

「資本主義」とは、利益第一の経済が機能するためには非経済的な支援が必要であり、その支援を捕食する権限が経済に与えられた社会秩序…「資本主義」とは経済の種類ではなく、社会の種類を指す(p10)

己の尻尾を喰らうウロボロスのように、資本主義社会は己を貪り喰おうとする。みずからがみずからを不安定化する真の原動力であり、周期的に危機を引き起こすとともに、常に私たちの存在の基盤を喰い荒らす。(p11)

 共喰い資本主義は、複雑に絡み合った様々な社会闘争を引き起こす。生産場面の階級闘争だけではない。資本主義システムの構造的な接合点で生じる境界闘争もそうだ。それは生産と社会的再生産が隣接する場所で…中略…ケアをめぐって対立を誘発する。それは搾取と収奪が交差する場所で、人種、移民、帝国をめぐって闘争を先導するそれはまた、蓄積と地球の岩盤がぶつかる場所で土地とエネルギー、動植物相、地球の運命をめぐって衝突を引き起こす。…(中略)…グローバル市場と巨大企業が国民国家や国境をまたぐ統治機関と出会う場所では、公的権力のかたち、支配、権限が届く範囲をめぐって闘争を駆り立てる。資本主義の概念を拡張すると、単一であると同時に分化した概念のなかに私たちが陥っている現在の窮地のあらゆる構成要素が見つかる。(p11-12)

第1章雑食-なぜ資本主義の概念を拡張する必要があるのか

「資本主義を規定する特徴の前提には別の要素があり、それが資本主義をなりたたせる可能性の背景条件を構成している…生産分野の背後にひそむ、さらに秘められた領域にあって、生産を成り立たせる可能性の条件を探し出すこととする」p19-20

「資本主義社会において市場化された側面と市場化されていない側面とが共存していることだ…実のところ、「共存」という言葉は、資本主義社会の市場化された側面とされていない側面との関係を、うまく捉え切れていない…その倒錯した関係を何よりもうまく表現するのが、「共喰い」という言葉である」p25

「マルクス問う。資本はどこから来たのかと…資本がどこからきたのかという問いについては…土地や財産の剝奪と収奪という、かなり暴力的な話である…非公式ではあるが、収奪は現在も進行中の蓄積メカニズムであり…搾取というフロントストーリーから収奪というバックストーリーへの移行は、大きな認識論的転換を引き起こし、これに先立つすべての議論に異なる光を投げかける」p26

「社会的再生産とは、人間を生み育て、社会的つながりを築いて維持するために必要な生活基盤の提供、ケア労働、相互作用の形を指す」p28

「商品生産と社会的再生産との分離は、資本主義の構造的中心をなす。それどころか二つの分離を生み出したのは資本主義だ。多くのフェミニスト理論家が訴えてきたように、その区分はジェンダー化され、生産は男性と、再生産は女性と結びついた」p29

「資本主義は、自然領域と経済領域との明確な区分を構造的に当然のものと捉える。自然領域は、人間が私物化するための「原材料」をいつでも無料で供給する分野とされ、いっぽうの経済領域は、人間によって人間のために生産される価値の分野とされる。実のところ、この区分は資本主義とともに始まった」p31

「資本主義は構成規範の確立と実施を、公的権力に依存している。つまるところ、企業と市場交換を支える法的な枠組みなしには、資本主義は成立しえない…ここで、また別の構造的分離が浮かび上がる。資本主義社会の構成要素である経済と政体との分離だ。この分離に伴うのが、私的権力と公的権力との、経済的強制と政治的強制との制度的な分化である」p34、35

「(収奪とは)被征服民やマイノリティの富を継続的に、強制的に奪い取る行為だ。収奪はたいてい資本主義に特有の搾取というプロセスの対立物とみなされるが、搾取を成り立たせる条件として捉えなおした方がいい。その理由は搾取も収奪もただ方法が異なるだけで、どちらも蓄積に欠かせないからだ」p37

「搾取と収奪の区分は身分のヒエラルキーに合致する。搾取可能な「労働者」は権利を有する個人であり市民という身分を与えられている…一方の収奪可能な「他者」は自由ではなく従属することでしか生きていけない…資本主義社会において政治的保護を拒否され、繰り返し侵害されてきたのは、人種差別される人々が圧倒的に多い」p38-39



nice!(0)  コメント(0) 

(株)ほわいとりりぃに対して不当労働行為救済の命令が発されました。 [組合活動]

昨年より団体交渉の要求を拒否し続けていた(株)ほわいとりりぃに対して、不当労働行為の救済申し立てを行ってきましたが、2023年10月20日付けをもって、福岡県労働委員会より救済命令が発されました。

労働組合からの団体交渉を拒否することは違法行為であるという、当然の結果です。
速やかに会社は団体交渉に応じることを求めます。


2023.10.20匿名命令2.jpg


2023.10.20命令匿名1.jpg



nice!(0)  コメント(0) 

FUF通信50号発行しました! [組合活動]

暑い暑い夏を乗り越えて、なんとか通信50号を発行しました。
読者のみなさんの手元には、届いたことと思いますが、帳合いミスで2枚目と3枚目を入れ替えてお読みいただける助かります。10秒でできます(笑  

すでに通信を読んでの感想やカンパなどを少しずついただいてるところです。感謝!!
組合財政逼迫のおり、ぜひともカンパ、通信費のお振込みを心よりお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか

労働者=人間をコマにする資本主義と向き合える力(言葉)を伝え合う


 「資本主義はなぜ私たちを幸せにしないのか」は、今年日本で翻訳本が出されたナンシー・フレイザー著書タイトルで今後学習会で取り上げていく予定だが暑い。前号発行以降は暑さを凌ぐだけの時間だったが、読者のみなさんはいかがお過ごしだっただろうか。「気候変動」が世界的社会問題とはいえ、地球規模の課題にわれわれ「持たざるものたち」はどう向き合えるのだろうか。現日本社会は、働けば金が入った一瞬の高度経済成長期に、ひたすら消費し続けてきた挙句の現状である。その間に多くの豊かさを失い、「少子高齢化」に現れ、「低賃金」「人手不足」という先行き不明な事態のなか、コロナだろうが酷暑であろうがひたすら働き続けるしかない、ノンストップ状態となった。
 永津組合員の文章に表れているが、銀行、医療、福祉、教育とひとつとってもそこには人間性といわれるものが見えなくなった。今号も朝鮮学校の教員や当組合の争議中組合員であるZ世代が原稿を寄せてくれている。まったく異なる労働現場ではあるが、同じ日本社会に生きてることに変わりはない。また、最低賃金を上げる必要性は言うまでもないのであるが、1日8時間労働た週休2日を死守するしかない現状では働きすぎといえる。なぜもっと労働時間を減らす方向へ向かないかの、70歳を過ぎても働かねばならないのか、と首をかしげるが、週休3日の制度導入を試みた報告も貴重なものだ。

 今回、「古きよき時代はあったのか」シリーズ(?)の2回目、1970年代に日教組から独立して結成した横浜学校労働者組合で当初より組合員として活動し、超過勤務問題で裁判闘争、今もなお「教員の働き改革」への提言を続ける赤田圭亮さんにお願いした。永遠のテーマのように思えたが、学校は「ブラック」企業となってた少子化時代の教員不足は半端ない現実を直視するしかない。近代公教育は資本主義ととともにあり、果たして学校は何を役割としてここまで続いてきたのか?表記テーマ、「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」ここに答えはある。消費することを幸として生きてきた以上、資本制社会で生き延びようとすればするほど、その幸は遠のいていくだろう。赤田さんの超長文原稿を暑さのなか送っていただいたその熱い思いに感謝しかないが、長く現場で闘いながらもひとつとして現実は得体の知れない何かに支配されたまま、明るい光を見出すことは本当に困難な時代であるからこその、その現実の共有のための強い「筆」の力だと確信する。ぜひともじっくり読んでその奥底にあるものを読み感じ取っていただきたい。この資本制社会にストップないしは歯止めをかけるために今できることを、人が現場で取り組んだことを伝えていくことで抗うことができると信じるしかない。
 
 賃労働だけではない時間と場を獲得していくことを改めて伝えていこうと思う。仕事を辞めてもなお、夢にうなされない社会を目指して・・・(笑)
 



nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | - 組合活動 ブログトップ