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「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」  [組合活動]

定例学習会報告

 暑い夏の間、遠ざかっていた学習会スタート。
 この夏に邦訳が発行されていたので、テキストとしました。
 まあ、なんとも、どうしてくれようかというようなタイトルではありますが。おっしゃるとおりでございます。この現実を知らずして今を生きるなかれということでしょうか。
 私たちはこのような現実を生きてるのでございます。
 では、どうする??


「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 
ナンシー・フレイザー著 江口泰子訳 ちくま新書(2023年 8月10日)


資本主義の特徴は共喰い、言い換えるならば、自分の依って立つ基盤を自ら破壊するという性質を持っている。ウロボロスの輪(英語版の表紙にも描かれています)をイメージとしているが、もっと身近な例で言えばタコが自分の足を食べるというものか?

 それはどういうことかというと、資本主義は商品生産と社会的再生産、経済と政体、人間と自然との分離、搾取と収奪の制度的分離を生み出す。商品生産と社会的再生産は分離しているものの、商品生産は社会的再生産をその前提としており、経済活動は政治をその前提としており、搾取は収奪を前提としているが、前者は自らがよって立つ基盤である後者を資本蓄積のために一方的に利用するという関係に立ち、両者の関係は対立的な関係、すなわち矛盾した関係に立つことになる。このような矛盾は様々な領域で争いを引き起こす(境界闘争)。先のイメージと重ね合わせると、経済というタコの頭が、その他の自らがよって立つ領域である自分の足を食べているというようなイメージになる。

 このような資本主義理解は、資本主義を単なる経済システムとしてではなく、資本主義を以上のような分離を前提とした「制度化された社会秩序」として定義づけることで可能となる。
また、この定義は、次のような資本論の解釈に依っている。すなわち、資本の本源的蓄積を歴史性の次元あるいは暴力の次元の問題として、搾取という価値法則の前提としての本源的蓄積という収奪という形で、価値法則と本源的蓄積の関係について、論理的連関をもって理解しているということなるし、また同時に資本主義は構造的に暴力の次元を有しているということになる。

序章 共食い資本主義
 
 問題設定と、主要な概念の定義づけが行われている。現状、様々な危機があるが、それらを「共喰い資本主義」という概念によって、資本主義の矛盾とそれがもたらす危機という形で理解する。つまり、人種、ジェンダー、環境といった問題を特殊個別的な問題として捉え、それらに共通する構造的あるいは普遍的な問題としての資本主義を捉えていく。資本主義を経済システムではなく社会体制として捉えて、経済と他の領域との関係とそこから生じる矛盾について論じられている。
 経済は、例えば家族や地域社会、環境という経済以外の領域が無ければ存在することができない。言ってみれば、それらは経済が成り立つ前提条件であるともいえる。資本主義は、それらを経済が一方的に利用することを良しとする社会であるが、その結果として経済が成り立つ前提を自ら崩し経済自身が危機に陥り、結果、社会全体が危機に陥る。

「カニバル(共喰い)資本主義」。私たちを今日の状況に追い詰めた社会システムを、私はそう呼ぶ(p8)

「資本主義」とは、利益第一の経済が機能するためには非経済的な支援が必要であり、その支援を捕食する権限が経済に与えられた社会秩序…「資本主義」とは経済の種類ではなく、社会の種類を指す(p10)

己の尻尾を喰らうウロボロスのように、資本主義社会は己を貪り喰おうとする。みずからがみずからを不安定化する真の原動力であり、周期的に危機を引き起こすとともに、常に私たちの存在の基盤を喰い荒らす。(p11)

 共喰い資本主義は、複雑に絡み合った様々な社会闘争を引き起こす。生産場面の階級闘争だけではない。資本主義システムの構造的な接合点で生じる境界闘争もそうだ。それは生産と社会的再生産が隣接する場所で…中略…ケアをめぐって対立を誘発する。それは搾取と収奪が交差する場所で、人種、移民、帝国をめぐって闘争を先導するそれはまた、蓄積と地球の岩盤がぶつかる場所で土地とエネルギー、動植物相、地球の運命をめぐって衝突を引き起こす。…(中略)…グローバル市場と巨大企業が国民国家や国境をまたぐ統治機関と出会う場所では、公的権力のかたち、支配、権限が届く範囲をめぐって闘争を駆り立てる。資本主義の概念を拡張すると、単一であると同時に分化した概念のなかに私たちが陥っている現在の窮地のあらゆる構成要素が見つかる。(p11-12)

第1章雑食-なぜ資本主義の概念を拡張する必要があるのか

「資本主義を規定する特徴の前提には別の要素があり、それが資本主義をなりたたせる可能性の背景条件を構成している…生産分野の背後にひそむ、さらに秘められた領域にあって、生産を成り立たせる可能性の条件を探し出すこととする」p19-20

「資本主義社会において市場化された側面と市場化されていない側面とが共存していることだ…実のところ、「共存」という言葉は、資本主義社会の市場化された側面とされていない側面との関係を、うまく捉え切れていない…その倒錯した関係を何よりもうまく表現するのが、「共喰い」という言葉である」p25

「マルクス問う。資本はどこから来たのかと…資本がどこからきたのかという問いについては…土地や財産の剝奪と収奪という、かなり暴力的な話である…非公式ではあるが、収奪は現在も進行中の蓄積メカニズムであり…搾取というフロントストーリーから収奪というバックストーリーへの移行は、大きな認識論的転換を引き起こし、これに先立つすべての議論に異なる光を投げかける」p26

「社会的再生産とは、人間を生み育て、社会的つながりを築いて維持するために必要な生活基盤の提供、ケア労働、相互作用の形を指す」p28

「商品生産と社会的再生産との分離は、資本主義の構造的中心をなす。それどころか二つの分離を生み出したのは資本主義だ。多くのフェミニスト理論家が訴えてきたように、その区分はジェンダー化され、生産は男性と、再生産は女性と結びついた」p29

「資本主義は、自然領域と経済領域との明確な区分を構造的に当然のものと捉える。自然領域は、人間が私物化するための「原材料」をいつでも無料で供給する分野とされ、いっぽうの経済領域は、人間によって人間のために生産される価値の分野とされる。実のところ、この区分は資本主義とともに始まった」p31

「資本主義は構成規範の確立と実施を、公的権力に依存している。つまるところ、企業と市場交換を支える法的な枠組みなしには、資本主義は成立しえない…ここで、また別の構造的分離が浮かび上がる。資本主義社会の構成要素である経済と政体との分離だ。この分離に伴うのが、私的権力と公的権力との、経済的強制と政治的強制との制度的な分化である」p34、35

「(収奪とは)被征服民やマイノリティの富を継続的に、強制的に奪い取る行為だ。収奪はたいてい資本主義に特有の搾取というプロセスの対立物とみなされるが、搾取を成り立たせる条件として捉えなおした方がいい。その理由は搾取も収奪もただ方法が異なるだけで、どちらも蓄積に欠かせないからだ」p37

「搾取と収奪の区分は身分のヒエラルキーに合致する。搾取可能な「労働者」は権利を有する個人であり市民という身分を与えられている…一方の収奪可能な「他者」は自由ではなく従属することでしか生きていけない…資本主義社会において政治的保護を拒否され、繰り返し侵害されてきたのは、人種差別される人々が圧倒的に多い」p38-39



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