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2023fuf組合大会 [組合活動]

2006年結成から18年目の組合大会、綱領を改めて掲載。
初期メンバーが、遠く長崎から参加してくれたり、もうすぐ古希を迎えるという長いつきあいとなった組合員が顔を出したり・・・・今年も有意義で濃い、そして楽しい大会となりました。
もちろん、若い初々しいメンバーも!

「われわれこそが、われわれが待ち望んでいた存在である」


 団体交渉や争議、いわゆる「労働組合」として行動するとき、自分たちが何者であるのかが明らかになる。要求書を出して団体交渉をする場合には、そこには相手=資本が存在することになるし、その反対の立場として自分たちは「労働者」となる。そこでは、資本と賃労働の間の利害の対立と調整が行われる。いわゆる、一般的にイメージされるところの、あるいは現行法上想定されている労働組合はそのようなものだろう。
 しかしながら、FUFは上記のような「労働者」にすらなれない、労働者以前、労働者未満のものが寄り集まっているということが大きな特徴だ。そのようなものにとっては、上記のような「労働者」像、すなわち資本と賃労働の対立と調整の関係に立つ労働者像はどのようなものになるのか。それは一つには目指すべきゴールという姿だろう。労働者となって、賃金を稼いで「自立」するというものだがそれだけではない。それは、労働者以前・労働者未満のものを排除した形で成立する「労働者」というものの裏返しでもあるし、同時に、排除される側すなわち労働者以前・労働者未満にとっては、「労働者」像が資本と同等の敵対的な存在として表れることにもなる。
 言い換えるならば資本対賃労働という図式そのものが、そこに入ることすらできないものにとっては、抑圧的なものとして存在してくるのであり、資本と同時に労働者もまた抑圧的なものとして、あるいは直接的な敵対者として存在することとなる。そして、資本対賃労働という図式が「社会」を成立させるものであるならば、その図式に入ることが出来ないものは「社会」から外れた存在となるし、「社会」が抑圧的な存在となってくる。
 そのような自分たちを抑圧する図式に対して、そしてそのような社会に対して、敢えて自分たち自身を切り縮めて合わせる必要がどこにあるのか。むしろ、自分たちの仲間が発する声に耳を傾けてそれに応答することによって、自分たち自身と出会うことが必要なことであり「われわれこそが、われわれが待ち望んでいた存在なのである」ことを確信することではないだろうか。

一、フリーターユニオン福岡は、我々に指令を下し我々の自由と生存を脅かす資本主義と国家暴力に抵抗する。
一、フリーターユニオン福岡は、資本主義と国家暴力を蝕んでゆく力を組織化し、有象無象が他者とともに自由に生きる社会の構築を目指す。
一、フリーターユニオン福岡は、現在の社会において我々が直面している生きづらさや働きづらさを、新たな社会性の創造によって乗り越えてゆくことを目指す。
一、フリーターユニオン福岡は、人々が既存の社会秩序に抵抗し、社会を変革する実践を通じて勝ち取ってきた権利としての言論表現の自由及び団結権を、単に与えられた権利として固守するのではなく、我々の実践の原理として徹底駆使し、それを妨害する力と闘う。
一、フリーターユニオン福岡のすべての組合員は、組合の諸活動に責任をもって主体的に関与する。
一、フリーターユニオン福岡は、国境内外の労働組合その他、思いを同じくする全世界の諸団体や個人と連帯して、社会変革の新たな波動を生み出す。




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FUF通信49号発行しました [組合活動]

時空を超えてーつながるーつなげるーつながれば!

 「失われた30年」から40年へと、どまることのない経済低迷による半端ない生活不安が押し寄せている。年齢にかかわらず多くの労働者が貧民状態である。そのような状況において親の介護やそれにまつわる介護業界についての永津組合員の投稿は、超高齢化社会の現実をいつも赤裸々に教えてくれる。また、今回「オバチャン会」報告としての50代女性組合員が転職を余儀なくされながらも、福祉関係の労働現場を必死で支えていることも伝えたい。それに拍車をかけたコロナ騒ぎによる「新しい生活様式」は、アクリル板越しや消毒まみれ、マスク越しの顔しか見ない生活に慣らされ、不安や分断を加速させた。一向にマスクを外そうとしない、つながろうとしない人々がそれを如実に教えてくれる。当組合では、組合員のマスク不着用によるジムからの「退会処分」裁判を全面的に支援している。今後の進行にぜひ注目していただきたい。
 朝鮮学校紹介の連載では、子どもたちと向き合うひたむきで前向きな姿勢を書いていただいた。朝鮮学校だからこその子どもとの向き合い方がある一方で、当然のことながら日本の公立学校の教員と同じ課題があることに気づかされた。日本社会で生まれ育ち、働く仲間との接点が見えた気がする。そのソンセンニム(先生)と同年代(20代)の現在係争中である当該も、労働組合なんてまったく知らない世代だ。ネット社会の是非や功罪は様々あるが、職場でぶつかった問題を解決するために自ら検索して見つけたのはキャバクラ労働問題を扱うフリーター全般労組であり、そこからのネットワーク=つながりだった。社会に出て働くこと自体がはじめてといえる状態で、会社に裏切られ尊厳を傷つけられることとなったが、労使問題は労働法でつながることは普遍的である。

 さて今回より、働きながら長く労働組合運動を担い続けてきた方々に原稿を依頼することにした。ほほ70歳前後の年代の方々である。連載の先はどうなるか未知だけれど、今ここで振り返りつながっておかないとなあ・・という、ちょっとした焦りからでもある(笑)戦後民主主義という「古き良き時代」はあったのか?!全国学校労働者組合連絡会という、連合系の教組から外れまくり、独立系組合を立ち上げた気合の入った「活動家」の面々である。教員でもあり、活動家でもある彼らの人間としての豊かさに私自身は多くを得たし、今でもそれを宝としている。そんな宝と若い人たちが時空を越えてつながる礎となればという小さな試みである。
 第1回目は、埼玉教育労働者組合の山際敏和さん、現役を退いてから「きまぐれ通信」という名の便りをいただき、教員時代や組合経験の昔や、最近読んだ本や観た映画を伝えてくれる。その通信から今回の連載を思いついたともいえる。突然の依頼にもかかわらず、丁寧で物腰柔らかな文章を早々と届けてくださった、多謝。



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