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技能実習制度廃止全国キャラバン [イベントなど告知]

ユニオン北九州が中心となって九州一円を駆け巡っています!
福岡は最終29日(日)午後3時に天神でのスタンディングと交流会。FUF事務所。
FUFは、非力なもので、事務所使用程度の協力ですが・・・・よろしく!

「外国人技能実習生権利ネットワーク北九州」は技能実習制度廃止全国キャラバンの一環として、
5月28日に鳥井一平さんを招いての集会を開催します。
多くの方のご参加を宜しくお願いします。
技能実習制度やめろ!全国キャラバンin北九州集会

日時:5月28日(土)18時~20時
場所:北九州市立男女共同参画センター・ムーブ
資料代:500円

2017年に施行された外国人技能実習法は今年11月で5年を迎えます。
政府は5年を目途に見直すとしており、自らも問題があることを認めています。
国連では現代の「奴隷制」とまで言われ批判されています。
全国の実習生問題に取り組む団体はこの問題だらけの技能実習制度を廃止して、
外国人労働者が労働者としての権利、人権が守られる制度を作るために全国キャラバンを取り組もうとしています。

5月22日沖縄、北海道から始まり、6月12日東京で集約集会・デモ、13日政府への要請行動で
締めくくるスケジュールです。
九州は5月23日からユニオン北九州の宣伝カーで九州一円を回る予定です。
皆さんのご支援・ご協力をお願いします。

また、権利ネットワーク北九州の会員も募集していて、新たなネットワークの運動として広げていくことも考えています。


5月23日:鹿児島、宮崎
  26日:長崎、福岡県南
  27日:熊本(コムスタカ主催)
  28日:北九州
  29日:大分、福岡


アジアに生きる会・ふくおか、移住労働者とともに生きるネッワーク九州の井上さんより

移住者に連帯する全 国ネットワーク(移住連)を中心にした「外国人技能実習制度廃止!全国キャラバン実行委員会」による全国キャラバンの一環として、来る5月29日(日曜日)午後3時から福岡市中央区天神1丁目のツインビル前(元イムズビルの南側)において約一時間のスタンディングを行います。
またスタンディング終了後、フリーターユニオン福岡の事務所(中央区大名)において移住連代表理事の鳥井一平氏を囲んでのタウンミィーティングを行う予定です。

この件の問い合わせ先は井上(090-7450-9805 inoueym21@yahoo.co.jp)まで。



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ブルシット・ジョブ学習会 [組合活動]

学習会「ブルシットジョブ」              2012年5月21日 丸田弘篤

寝そべり主義あるいはジェネレーション・レフト時代の労働について
 現在の「労働」をどのように捉えるのかという観点から、時代的な背景を踏まえながらブルシットジョブという問題を捉えていくというのが今回の学習会の問題関心である。そうするために、前回のジェネレーション・レフト、前々回の寝そべり主義者宣言の議論を振り返りながら簡単につなげてみる。
 ルシットジョブ現象が出てきた時期というのは、新自由主義を統治モデルとして捉え、時代ごとに区分する観点からすると、新自由主義がゾンビ的段階にある時期にあたる。ブルシットジョブが書かれた時期は、前回の学習会の用語を使えば、これまで我慢できていたことが突如として耐えられなくなる瞬間、制度の論理によって制約された社会的・政治的可能性の収縮を乗り越える「過剰の瞬間」の時期である。
現代の資本主義社会は、ゾンビ的段階にある新自由主義体制の中で、欧米ではジェネレーション・レフト、中国では寝そべり主義者が新たな思想潮流、政治主体として現れている。そのような中にあって、労働がどのような特徴を持っているのかというと、それはブルシットジョブというものであるが、それは一体どのようなものなのだろうか。
ここで、簡単に本書の流れを追っておくと次のようになる。自分の仕事が無意味で価値が無いと感じる人が増えているというブルシットジョブ現象が生じているという問題提起に始まり、ブルシットジョブの定義(一章)、ブルシットジョブの類型(二章)、ブルシットジョブが人に与える影響(三章、四章)、ブルシットジョブが生じた歴史的背景(五章)、人々がブルシットジョブに囚われている状況(六章)、ブルシットジョブの政治的影響(七章)という構成である。

序章 ブルシットジョブ現象について
 2013年にブルシットジョブ現象についてという文章を発表したところ、非常に大きな反響があった。ブルシットジョブ現象というのは、社会が無益な仕事であふれて、自分の仕事が無意味で必要が無いと感じている人が増えているという状態。
2015年に実際に世論調査会社が、あなたの仕事は世の中に意味のある貢献をなしていますかという調査を行ったところ、37%の人がしていないと回答。
 このようなブルシットジョブ現象が意味することは「ネオリベラリズムのイデオロギーは…実際には経済的プロジェクトに粉飾された政治的プロジェクトであるということだ」(p13)。

※これがどういうことであるかといえば、ネオリベラリズムというのは公的部門の縮小、規制緩和という経済の領域の議論であると考えられがちであるが、例えば競争を中心として社会を組み立てる、あるいは自助努力を中心にして社会の組み立ていくといったように、ネオリベラリズムが社会秩序の編成の基礎となっているような状態にあるということ。
 経済的な効率性、平たく言うと資源の無駄のない社会を作り出すというネオリベラリズムの思想が基礎となっている社会がどういうわけか無意味な仕事があふれる社会になってしまっている。
1章ブルシットジョブとは何か
「ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている。」p28
「わたしたちが置かれているのは、世界に何の影響も及ぼさないと自分自身感じている課業を遂行することで仕事の時間の大半を費やしているような社会なのである」p47

2章 どんな種類のブルシットジョブがあるのか ブルシットジョブの主要五類型
1、取り巻き(フランキー)「だれかを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせるという、ただそれだけのために存在している仕事」p50 例:企業の受付係

2、脅し屋(グーン)脅迫性や欺瞞性を持った仕事「その仕事が脅迫的な要素を持ってい
る人間たち、だが決定的であるのは、その存在を他者の雇用に全面的に依存している人間たち」p61 例:ロビイスト、企業の顧問弁護士
「その仕事に就いているとても多くの人々が、自分の仕事がなんら社会的価値をもたないし存在しないほうがまだマシと感じている」p62

3、尻ぬぐい(ダクトテーパー)「組織に欠陥が存在しているためにその仕事が存在して
いるにすぎない雇われ人。存在してはならない問題を解決するために置かれている」
p67 
「目上の人間の不注意や無能さが引き起こした損害を原状復帰させることが仕事であるような部下」p68

4、書類穴埋め人(ボックスティッカー)「ある組織が実際にはやっていないことをやっ
ていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような被雇用者」p72

5、タスクマスター 監督する必要のない人たちを監督する仕事
第一類型「もっぱら他人への仕事の割当だけからなる仕事」p79
第二類型「他者の為すべきブルシットな業務を作り出すこと」p80

3章 なぜ、ブルシットジョブをしている人間はきまって自分が不幸だと述べるのか
    (精神的暴力について、第一部)
 ブルシットジョブが人に与える影響について、人間の心理と労働の在り方から分析が行われている。ブルシットジョブの罠にはまることの道徳的・心理的影響の検証。
なぜ、ブルシットジョブが問題であるのか?なぜ意味のない仕事に就くことが人々をみじめな存在に貶めるのだろうか。何もせずに高給がもらえるならば、自分を幸福と考えていいはずだが、そのような仕事にありつけてラッキーと思う人は殆どいなかった。
「雇用目的仕事」についている場合には、労働者の時間は労働者のものではなく、それを買った人間のものであり、怠惰は時間を買ったものから盗むということを意味する。することが無くても拘束時間内は何かを行わねばならないし、結果として働くふり(ごっこ遊びゲーム)を強いられることになる。このことが、人間にとって精神的な暴力となる。
 その背後には時間の概念の変化があり、時間が貨幣と引き換えに売買できるような状況が生じると、時間が支出、節約の対象になり、近代的な労働規律が行われるようになった。資本家は労働者の時間を管理し、労働者は雇用主と時間当たり賃金をめぐってわたりあうようになった。

「無意味な雇用目的仕事(雇用のために創出された本来無意味な仕事)に見える行為が、なぜかくもひとを不幸にさせるのかということだけではない。人間とはいったいなんなのか、人間を突き動かすものとは基本的にどのようなものかについて、その不幸から何が見えるのか」p100
「自分が雇われているのは役に立つからではないということも痛烈に自覚している。このようなありかたが、人に甚大なる悪影響を及ぼしてしまうのである…私は私であるという根源的感覚に対する直接的攻撃なのだから。意味のある影響を世界に与えることのない人間は、存在することをやめてしまうのだ」p121
 「賃労働のうちには私たちの存在に意味を与える部分があるかもしれない。ところがそれは、ほとんど賃労働の持つ最悪中の最悪中の要素をとりだして、それだけを仕事の全てにしてしまうようなものなのである。魂が叫び出したとして、なんの不思議があるだろう。それは、私たちを人間たらしめるものすべてに対する直接攻撃なのだから」p138

4章ブルシットジョブに就いているとはどのようなことか(精神的暴力について 第二部)
 ブルシットジョブについていることは、惨めさを強いられる。この章では、それについて「曖昧であることの惨めさと欺きを強いられる惨めさ」「原因になれない惨めさ」「惨めである資格が無いと感じる惨めさ」「自分が危害を加えていると認識することの惨めさ」を挙げている。
ブルシットジョブの精神破壊に対する抵抗として、時間とエネルギーを仕事以外のやりがいのあるものに振り向けるということが挙げられている。やりがいのあるものとして挙げられているのが、芸術、音楽、文章という創造的な活動であったり、政治的アクティビズムに取り組むということである。

 「ブルシットジョブと、レストランのベースボードを洗浄するよう命じられた皿洗いには、明白な違いがひとつある。後者のばあい明らかに弱い者いじめをしている人間がいる…ブルシットジョブの場合、これほど明瞭なことなどめったにない…つまりは、はらわたの煮えくり返るような不明瞭さである。何かいやなこと、馬鹿げたこと、途方もないことが起こっているというのに、その事実を認めてよいのかさえはっきりせず、だれを、何を非難したらよいのかも、それ以上にはっきりしないのである」p142-143
 「ブルシットジョブにおいてもまた、偽りの建前を維持し演技ゲームをプレイするように求められている。ところが、その環境においては、規則の内容もなぜそれをしなければいけないのかも…ほとんど確証を持てないのだ」p147
「ばあいによっては、規則が明示的に定められているが、そのさいには、そもそも破られることが想定されている」p148
「自分の仕事には達成すべき何の課題もないという事実と折り合うことが、仕事の中で達成できる唯一の課題であるというばあいの惨めさ…自らの選択にまったく反して、自分が寄生者やペテン師となってしまった事態と向き合うよう強いられることの惨めさである」
「おそらくほとんどのブルシットジョブには、これと似た苦痛に関する筋書きの欠如が関わっている。行動規範が分かりにくいだけではない。自らの置かれた状況について、どう表現すればよいのか、どのように感じればよいのか、だれにもわからないのである」p156-157
「人間に価値が無いと感じさせる方法は無数にある…なにか物申す権利があると思いあがるなど、どんな間抜け野郎なんだと他人様に教え込むことを本質とする政治的言説である。これを「どの口が権利をいうか言説」と呼ぼう」p175
「どの口が権利をいうか言説の重責がのしかかるのは、何より若い世代である…彼らは自分には何かもっと違ったことができるのではないかという思いに対して、左右から容赦のないお説教を聞かされている。このような状況が、若い世代の人々に、無意味な雇用についての不満を吐き出しにくくもしているのである」p175-176
「実態はまるで真逆なのに、自分が人類に何らかの貢献をしていると見せかけねばならない惨めさである。言うまでもなく、これがもっとも浸透を見せているのは、政府機関ないし非政府組織で働いている社会保障の供与者である…かれらは自分たちが援助していると普通見なされている人々に危害を加えているのである」p179
 
 第五章 なぜブルシットジョブが増殖しているのか
  資本主義は市場が効率的に動き、無駄な仕事というものは本来存在する余地はないということが前提となっている。このことが、ブルシットジョブを認識することを阻害している。しかし実態としては「雇用創出」こそが全てという結果、民間の保険会社の無益でおびただしい事務職の雇用を守るために、効率的な社会保険制度の導入が行われないということが起こっている。
 ブルシットジョブが増殖してきた背景には、資本主義の金融化ということが挙げられる。金融化された資本主義は、企業はモノの生産ではなく、手数料や使用料、地代などを平民から徴収し、それを再分配に関与していく。その過程で取り巻きの一群、ヒエラルキーが形成され、それらがブルシットジョブを担うことになる。この徴収と再分配の過程を中世の封建制になぞらえて、「経営的封建制」と呼んでいる。
 
「こうした事態がほとんど認識されていない理由の一つは、現行の経済システムの下でこのようなことが起こるなど、だれも考えてもみないからである…何もしていないのに報酬が与えられているという事実そのものが、そもそも市場経済に関するわたしたちの前提的認識すべてに反しているのである」p198
「ブルシットジョブの場合、三つの問いを立てることができる。
1,個人的な次元。なぜ人々はブルシットジョブをやることに同意し、それに耐えているのか?
2,社会的・経済的次元 ブルシットジョブの増殖をもたらしている大きな諸力とはどのようなものか
3,文化的・政治的次元 なぜ経済のブルシット化が社会問題とみなされないのか、なぜだれもそれに対応しようとしていないのか?
社会問題一般の議論をめぐる混乱のかなりの部分は、たいてい、このようなことなる次元の説明を、それらが同時に作用していると考えるのでなく、どれか一つの次元に帰着させようとするところに起因している」p207
 「まちがいなく、ブルシットジョブは近年になって生まれたわけではない。しかしながら、近年に至って、そうした無意味な雇用の形態が巨大な増殖を見せており、それにつれて実質のある仕事もますますブルシット化しているのは確かなのである。そして、こうした現象をサービス部門の増大と結びつけるよく見られる誤解にもかかわらず、この増殖は金融の重要性の高まりと切り離すことはできないように思われるのだ」p250-251
「もしブルシットジョブの存在が資本主義の論理に逆らっているように見えるとすれば、ブルシットジョブの増殖に対するただ一つのありうる説明は、今このシステムが資本主義ではないからということになる…それはますますレント取得のシステムとなりつつあるのであって、そこでは経済の命法と政治の命法が大幅に融合を始めているが故に、内的論理において、資本主義と全く異なっているということになる」p251-252

第六章 なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?
 労働の社会的価値と経済的価値が反比例するのはなぜなのかということが主要な問題になっている。それに対して、価値や労働の観念の歴史的な展開から議論を行っている。
労働は神が世界を作ったことになぞらえて、何かを作り出す男性の労働として捉えられてきており、女性の労働の観点が抜け落ちてしまっていた。結果、労働者階級が人の世話をする、人の欲求や必要に配慮(ケアリング)するという女性の仕事とみなされるものに類似するような労働に従事しているという現実が見落とされ、そのような「ケアリング労働」は価値創造的な労働として認識されなくなった。
労働の価値は生産するものや他者への配慮にあるのではなく、主要な価値は自己犠牲であり苦痛であるように見なされる。労働が楽しいものであったり、他者のためになっているという満足があることは、労働の価値を下げるものとみなされ、その報酬の水準が低くなることの正当化へとつながる。
 
「私たちの社会ときたら、労働の社会的価値がその経済的価値に対して反比例している…無益で破壊的でさえある振る舞いには報酬を、世界をよりよくするため日々労働している人々には事実上罰を与えるべしというわけなのだ」p256
「公益のために献身することを仕事として選択した人々こそが…公益のために集団的に犠牲を払うという精神性を一方的に引き受けるべきであるという感覚である。このような感覚が意味を成すのは、そもそも仕事-より具体的には支払労働-は、それ自体で価値があるという想定があるからこそである。つまり、それ自体に価値があるからこそ、仕事をしている人間の動機であったり、仕事の諸効果にかんしてはせいぜい二の次にすぎないのである…仕事は善であるというだけではなく、仕事をしないのは最大の悪であるという広範なコンセンサスが存在するように思われる」p281

第七章 ブルシットジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況についてなにをなしうるか?
 
 経営封建制の元では、ブルシットジョブに就く人とそうでない人のあいだの反感に支えられている。社会的価値のある仕事をしている人は、その仕事が自己犠牲や公共精神を見せつけ、ブルシットジョブに就いている人の道徳羨望を引き起こす。そのような人が十分な報酬を求めると、反感の正当なはけ口となってしまう。

「労働の状況が、憎しみと反感に満ち満ちた政治的状況を助長しているということである。必死に頑張っているのに仕事がない人々は、雇用を得た人々に対して反感を抱く。雇用を確保している人々は、貧困者や失業者に対する反感抱くようにそそのかれている…政治エリートといえば、自分たちに向けられる以外の、このような無内容な憎悪の形態は、非常に都合がよいとみている。というのも、自分たちから注意をそらすことができるからである」p320-321
反感の根にあるのは単なる妬み(羨望)であり、「道徳羨望は…その人の振る舞いが羨望するもの自身の道徳的基準よりも高い基準を有しているとみなされるが故に、直接的に他者に向けられる羨望や反感の感覚である」p321

「退屈な機械的作業の大部分を除去できるそんな時代の到来を告げている。これは何を意味しているのか。周知のように仕事はますます「生産的」労働とみなされているものから遠ざかる一方、ますます「ケアリング」労働に接近しているということである」p332
「仕事のケアリング的な価値が、労働の中でも数量化しえない要素であるように見えることだ…実質のある仕事のブルシット化の大部分、そしてブルシット部門がより大きく膨張している理由の大部分は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結だということである」p337
「現在の労働の配分が現在のような形をとっている原因は、経済学的要因とも人間本性とも全く関係がない。つまるところ、それは政治的なものなのだ…とすればわたしたちはそれを続ける理由もない」p341
「現在、社会運動によって提起されている解決策の中に、政府の規模や人の生活への侵害の度合いを上昇よりは縮小させるであろうものをひとつは認めることができる。普遍的ベーシックインカムである」p347
「控えめなベーシックインカムのプログラムさえ、最も根本的な変革に向かう最初の一歩となりうる。すなわち、労働を生活から完全に引きはがすことである」p359
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FUF学習会  ブルシット・ジョブ [イベントなど告知]

毎月第3土曜日の午後の学習会。
今回は、5月21日(土)午後1時から、延期していました「ブルシット・ジョブ」です。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 いま働き方を根本的に見直し、本当に大切な仕事はなにかを考える。『負債論』の著者による解放の書。

政府のいう「働き方改革」なんて果たしてなにかを変えたのだろうか?
低賃金での労働こそ、本当に大切な仕事ではないのか?
かつてから言われ続けた3K,4Kという仕事は今も同じなのではないか?
外国人労働者なしては成り立ってない日本の労働現場では?

一番大事な労働の問題が、なかなか表立って語られない社会。
まずは、愚痴でもなんでも語り合うことからはじめましょう。



完全オンラインでの開催ですので、参加希望、関心のある方は、右記FUFのメールアドレスか、携帯電話からご連絡くださいませ。聞いてるだけの参加で大丈夫です、お気軽にお知らせくださいませ。


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