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fuf通信第41号発行 [組合活動]

通信誌41号を発行いたしました!

テーマは「はじめの一歩」ということで、それぞれのはじめとは何か?
なにごとも一歩からしか始まらないという当たり前のこと、でもその一歩がとても重い。
それぞれの一歩を考えてみました。

そして、組合員であった久藤学さんを偲んでその翻訳書を表紙に掲げさせていただき、同志である久藤さんい捧げます。


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追悼―久藤学あるいは芦原省一さんへ                           MH

 彼の訃報を知ったのは、亡くなってから1か月近くも経ってからのことだった。その前から、連絡が付かなかったので何かあったのかと気にはなっていた。調子が悪そうではあったので、入院をしたのかと思ったのだが、最悪の事態が生じていた。

 合同労組に翻訳家の人が入って、大月書店と争っている。そんな話を人づてに聞いたのが、久藤さんのことを知ったきっかけだ。実際に会ったのは、フリーターユニオンの2012年の年末企画の時だった。それから、何か月後かに、博多駅の地下の喫茶店で二人で長い時間話をする中で、同じような「病」を抱え、そしてそこから「覚醒する瞬間」をお互いに経験していることが分かった。
 何かが頭の中で繋がり、今まで喪っていた「現実」を取り戻す、あるいは「現実に」戻ってきた後に久藤さんは翻訳家として「ウォール街を占拠せよ」という本を出版した後に、出版元である大月書店と争議状態に突入した。その経緯を簡単に説明すれば、当時、反原発運動が盛んであったわけだが、その反対の根拠をめぐって、久藤さんと大月書店が衝突してしまったということだ。

 自らを朝鮮半島にルーツを持つ者としては、日本「国民」の名のもとに「日の丸」を持ち込んで行われるような「反原発運動」を許容するわけにはいかない。「日の丸」のもとに差別をされてきた側の歴史に生きる彼にとっては、そして原子力は差別の構造の上に成り立っているとするならば、到底、反原発に差別の象徴たる「日の丸」が持ち込まれる欺瞞に耐えられず、声を上げ続けた。だが、大月書店は久藤さんがそのようなことをすれば、本の売り上げに響くことを恐れて、久藤さんを押さえようとしたが、それを聞き入れられなかったために、結局、次回作の契約を結ぶことをしなかった。大月書店ともある会社だったら「もっとやれ。半端な妥協なんてしなくていい。好きなだけ暴れてくれ」というスタンスを取るべきだったのではないのか。
 そして、労働委員会・行政訴訟のいずれも久藤さん側が負けてしまった。これからどう闘っていくかという話になった時、自分は彼に対して現行法上の争いで敗けることは仕方が無いにせよ、ここで争ったことを思想的に深めていくべきではないかということと、翻訳家「芦原省一」はここでは終わらないとして、契約を切ったことを大月書店に後悔させるような本をだしてやろうということで、テリー・イーグルトンのデビュー作の「New Left Church」の翻訳を一緒にやることを持ちかけた。だが、久藤さん自身の健康状態・精神状態は再び悪化していき、運動の場に出てくることも殆どなくなったばかりでなく、父親との確執から、措置入院という形で社会から隔離されてしまった。その際、精神医療制度の持つ恐ろしさの一端を経験させてもらった。

 久藤さん本人はもうこの世にはいない。だが、自分自身が久藤さんと一緒に行った作業を続けていく限り大月書店との闘いは終わらない。死人に口なしという諺があるが、一方で「死者ほど扱いに困る存在は無い」こともまた事実だ。








2020.10.12通信42号.jpg
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