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踏み出すことの難しさ・・・踏み出せばいいのか!? [雑多なつぶやき]

はじめの一歩は本当に物事のはじめなのか?
                            

 正直な話、今回のテーマはあまりに漠然としていて、しかも私個人はずっと何の「はじめの一歩」も踏み出せていない、どうすれば踏み出せるのかわからない、と思考の悪循環に陥り書く気力がずっと持てませんでした。親からは特に最近「もういい加減に家を出ていったらどうか」とよく言われますが、私自身は一人で暮らしていけるだけの収入はおろか、過敏な五感と実践能力に見合わない問題意識の厳しさと、いつまでも処分不能の古本の山に途方に暮れ、しかもそもそもどこの不動産屋に相談すればいいのかさえわからない程重症です。迷いを断ち切り相談してみた挙げ句に某国の大統領のような人のカモにるのではないかとの不安からいつもつい二の足を踏んでしまうのです。
 つい先程夕方4時15分のバスに乗ろうとバス停に着いたものの、何故かいつにもまして止むに止まれず、バス停近くに散乱していたゴミを拾い始め、拾い残しをまた止むに止まれず、見て見ぬふりをしてコンビニへ捨てに行こうとした時は既に4時27分でした。不法投棄されたゴミも私にはいつも頭痛の種ですし、今日は拾いきれず残してしまったゴミも心配です。拾ったゴミを捨てに行ったそのコンビニが新しい生活様式を口実にゴミ箱の使用を「ご遠慮いただいて」いるのは承知で、行ったら案の定ゴミ箱は紙で塞がれたままだったので、店先にゴミを置き、トイレで手を洗い、申し訳程度にペットボトルのお茶だけ買ってバス停に戻りました。バスに乗れたのは4時50分。手を汚しつつバスを一本逃してゴミを拾い、しかもそれをゴミ箱を使えないコンビニの前に置き去る、一連の行為に価値があるのか念のため考えてみましたが、自分ではやはり価値があるとの結論にしか辿り着けません。毎度ながらコンビニの店員のみならず、分別もろくにできな程汚れたゴミを捨ててゴミ処理場の人たちには迷惑をかけたとも思いますが、日頃我々人類は虫や蛙や蛇や鳥や獣や…その他自ら何も語らない無数の生物たちへの加害を思えば全く無いも同然です。
 バス停に戻る途中である比喩を考えつきました。すなわち、人類以外の生物にとって日本はほぼどこも例外なく“地雷原”だらけ、踏んでも即死こそしないが、古びた物、特にプラスチックゴミは紫外線のせいで脆くなり細かく散乱しやすく、うっかり粉塵を灰に吸い込んだり、食べ物や飲み水と一緒に呑み込んでしまい、癌等の病気のリスクを抱え込んでしまう恐れはそこかしこにあるという事です。人間は日々自分の一歩一歩の重要性を忘れ、仕事中心の生活に追われ時々つまらぬ楽しみを追うばかりで拾うべきゴミがあるのに気づかず素通りしているのか、生きていける清浄な環境に感謝など全く感じないという事です。バスに乗れたのは漸く4時55分でした。
 fufは事務所で出たゴミを適切に処分していますしこの通信の読者の方々は比較的まともなので対象外としてもよいのですが、今ある食物連鎖の生態系がなくても工業的な食料の生産と供給を順調に保たれていればそれだけで生きていると考える人がいないとも限りません。そんな人たちはせいぜい二百数十年、長く見積もっても一万年にもならない程度の歩みしかなくいつ暴走しないとも限らない科学技術に、何億年もかけて生じた生態系とそこに生まれた自分の命を売り渡している事は、いつも忘れないでいただきたく思うのです。はじめの一歩を踏み出そうと決断する時はとりあえずその後の事は考えずにまず一歩を踏み出そう、とはよく聞く人生訓ですが、一歩を踏み出したらその勢いでどんな未来へ行くのかも、考えましょう。
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