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FUF通信50号発行しました! [組合活動]

暑い暑い夏を乗り越えて、なんとか通信50号を発行しました。
読者のみなさんの手元には、届いたことと思いますが、帳合いミスで2枚目と3枚目を入れ替えてお読みいただける助かります。10秒でできます(笑  

すでに通信を読んでの感想やカンパなどを少しずついただいてるところです。感謝!!
組合財政逼迫のおり、ぜひともカンパ、通信費のお振込みを心よりお願いいたします。

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資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか

労働者=人間をコマにする資本主義と向き合える力(言葉)を伝え合う


 「資本主義はなぜ私たちを幸せにしないのか」は、今年日本で翻訳本が出されたナンシー・フレイザー著書タイトルで今後学習会で取り上げていく予定だが暑い。前号発行以降は暑さを凌ぐだけの時間だったが、読者のみなさんはいかがお過ごしだっただろうか。「気候変動」が世界的社会問題とはいえ、地球規模の課題にわれわれ「持たざるものたち」はどう向き合えるのだろうか。現日本社会は、働けば金が入った一瞬の高度経済成長期に、ひたすら消費し続けてきた挙句の現状である。その間に多くの豊かさを失い、「少子高齢化」に現れ、「低賃金」「人手不足」という先行き不明な事態のなか、コロナだろうが酷暑であろうがひたすら働き続けるしかない、ノンストップ状態となった。
 永津組合員の文章に表れているが、銀行、医療、福祉、教育とひとつとってもそこには人間性といわれるものが見えなくなった。今号も朝鮮学校の教員や当組合の争議中組合員であるZ世代が原稿を寄せてくれている。まったく異なる労働現場ではあるが、同じ日本社会に生きてることに変わりはない。また、最低賃金を上げる必要性は言うまでもないのであるが、1日8時間労働た週休2日を死守するしかない現状では働きすぎといえる。なぜもっと労働時間を減らす方向へ向かないかの、70歳を過ぎても働かねばならないのか、と首をかしげるが、週休3日の制度導入を試みた報告も貴重なものだ。

 今回、「古きよき時代はあったのか」シリーズ(?)の2回目、1970年代に日教組から独立して結成した横浜学校労働者組合で当初より組合員として活動し、超過勤務問題で裁判闘争、今もなお「教員の働き改革」への提言を続ける赤田圭亮さんにお願いした。永遠のテーマのように思えたが、学校は「ブラック」企業となってた少子化時代の教員不足は半端ない現実を直視するしかない。近代公教育は資本主義ととともにあり、果たして学校は何を役割としてここまで続いてきたのか?表記テーマ、「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」ここに答えはある。消費することを幸として生きてきた以上、資本制社会で生き延びようとすればするほど、その幸は遠のいていくだろう。赤田さんの超長文原稿を暑さのなか送っていただいたその熱い思いに感謝しかないが、長く現場で闘いながらもひとつとして現実は得体の知れない何かに支配されたまま、明るい光を見出すことは本当に困難な時代であるからこその、その現実の共有のための強い「筆」の力だと確信する。ぜひともじっくり読んでその奥底にあるものを読み感じ取っていただきたい。この資本制社会にストップないしは歯止めをかけるために今できることを、人が現場で取り組んだことを伝えていくことで抗うことができると信じるしかない。
 
 賃労働だけではない時間と場を獲得していくことを改めて伝えていこうと思う。仕事を辞めてもなお、夢にうなされない社会を目指して・・・(笑)
 



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ホームヘルパー国家賠償請求裁判 [組合活動]

わが組合にもケア労働に従事する組合員はいますし、介護というものが、する側、される側、携わる側それぞれに誰にでもなにがしか「必要」とされる社会になっています。
もちろん、国はそれを想定しての介護保険導入ではありますが、その制度のあまりのレベルの低さに、労働現場は疲弊しています。
この画期的な裁判に注目したいと思います。


ホームヘルパー国家賠償請求訴訟


2019年11月1日の提訴から1年。コロナ禍の中で、裁判は継続しています。 2018年13.1倍だったホームヘルパーの求人倍率は、2019年15.03倍に上昇し、ますます介護保険制度は崩壊の危機に瀕しています。国は、給付削減のために、要介護者の介護保険外しに道を拓く、『政令改正』を推し進めています。裁判を通し、私たちの繋がりが強まることを期待します。「ホームヘルパ一国賠訴訟を支援する会」へのご賛同、ご入会をお願い致します。
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2023fuf組合大会 [組合活動]

2006年結成から18年目の組合大会、綱領を改めて掲載。
初期メンバーが、遠く長崎から参加してくれたり、もうすぐ古希を迎えるという長いつきあいとなった組合員が顔を出したり・・・・今年も有意義で濃い、そして楽しい大会となりました。
もちろん、若い初々しいメンバーも!

「われわれこそが、われわれが待ち望んでいた存在である」


 団体交渉や争議、いわゆる「労働組合」として行動するとき、自分たちが何者であるのかが明らかになる。要求書を出して団体交渉をする場合には、そこには相手=資本が存在することになるし、その反対の立場として自分たちは「労働者」となる。そこでは、資本と賃労働の間の利害の対立と調整が行われる。いわゆる、一般的にイメージされるところの、あるいは現行法上想定されている労働組合はそのようなものだろう。
 しかしながら、FUFは上記のような「労働者」にすらなれない、労働者以前、労働者未満のものが寄り集まっているということが大きな特徴だ。そのようなものにとっては、上記のような「労働者」像、すなわち資本と賃労働の対立と調整の関係に立つ労働者像はどのようなものになるのか。それは一つには目指すべきゴールという姿だろう。労働者となって、賃金を稼いで「自立」するというものだがそれだけではない。それは、労働者以前・労働者未満のものを排除した形で成立する「労働者」というものの裏返しでもあるし、同時に、排除される側すなわち労働者以前・労働者未満にとっては、「労働者」像が資本と同等の敵対的な存在として表れることにもなる。
 言い換えるならば資本対賃労働という図式そのものが、そこに入ることすらできないものにとっては、抑圧的なものとして存在してくるのであり、資本と同時に労働者もまた抑圧的なものとして、あるいは直接的な敵対者として存在することとなる。そして、資本対賃労働という図式が「社会」を成立させるものであるならば、その図式に入ることが出来ないものは「社会」から外れた存在となるし、「社会」が抑圧的な存在となってくる。
 そのような自分たちを抑圧する図式に対して、そしてそのような社会に対して、敢えて自分たち自身を切り縮めて合わせる必要がどこにあるのか。むしろ、自分たちの仲間が発する声に耳を傾けてそれに応答することによって、自分たち自身と出会うことが必要なことであり「われわれこそが、われわれが待ち望んでいた存在なのである」ことを確信することではないだろうか。

一、フリーターユニオン福岡は、我々に指令を下し我々の自由と生存を脅かす資本主義と国家暴力に抵抗する。
一、フリーターユニオン福岡は、資本主義と国家暴力を蝕んでゆく力を組織化し、有象無象が他者とともに自由に生きる社会の構築を目指す。
一、フリーターユニオン福岡は、現在の社会において我々が直面している生きづらさや働きづらさを、新たな社会性の創造によって乗り越えてゆくことを目指す。
一、フリーターユニオン福岡は、人々が既存の社会秩序に抵抗し、社会を変革する実践を通じて勝ち取ってきた権利としての言論表現の自由及び団結権を、単に与えられた権利として固守するのではなく、我々の実践の原理として徹底駆使し、それを妨害する力と闘う。
一、フリーターユニオン福岡のすべての組合員は、組合の諸活動に責任をもって主体的に関与する。
一、フリーターユニオン福岡は、国境内外の労働組合その他、思いを同じくする全世界の諸団体や個人と連帯して、社会変革の新たな波動を生み出す。




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FUF通信49号発行しました [組合活動]

時空を超えてーつながるーつなげるーつながれば!

 「失われた30年」から40年へと、どまることのない経済低迷による半端ない生活不安が押し寄せている。年齢にかかわらず多くの労働者が貧民状態である。そのような状況において親の介護やそれにまつわる介護業界についての永津組合員の投稿は、超高齢化社会の現実をいつも赤裸々に教えてくれる。また、今回「オバチャン会」報告としての50代女性組合員が転職を余儀なくされながらも、福祉関係の労働現場を必死で支えていることも伝えたい。それに拍車をかけたコロナ騒ぎによる「新しい生活様式」は、アクリル板越しや消毒まみれ、マスク越しの顔しか見ない生活に慣らされ、不安や分断を加速させた。一向にマスクを外そうとしない、つながろうとしない人々がそれを如実に教えてくれる。当組合では、組合員のマスク不着用によるジムからの「退会処分」裁判を全面的に支援している。今後の進行にぜひ注目していただきたい。
 朝鮮学校紹介の連載では、子どもたちと向き合うひたむきで前向きな姿勢を書いていただいた。朝鮮学校だからこその子どもとの向き合い方がある一方で、当然のことながら日本の公立学校の教員と同じ課題があることに気づかされた。日本社会で生まれ育ち、働く仲間との接点が見えた気がする。そのソンセンニム(先生)と同年代(20代)の現在係争中である当該も、労働組合なんてまったく知らない世代だ。ネット社会の是非や功罪は様々あるが、職場でぶつかった問題を解決するために自ら検索して見つけたのはキャバクラ労働問題を扱うフリーター全般労組であり、そこからのネットワーク=つながりだった。社会に出て働くこと自体がはじめてといえる状態で、会社に裏切られ尊厳を傷つけられることとなったが、労使問題は労働法でつながることは普遍的である。

 さて今回より、働きながら長く労働組合運動を担い続けてきた方々に原稿を依頼することにした。ほほ70歳前後の年代の方々である。連載の先はどうなるか未知だけれど、今ここで振り返りつながっておかないとなあ・・という、ちょっとした焦りからでもある(笑)戦後民主主義という「古き良き時代」はあったのか?!全国学校労働者組合連絡会という、連合系の教組から外れまくり、独立系組合を立ち上げた気合の入った「活動家」の面々である。教員でもあり、活動家でもある彼らの人間としての豊かさに私自身は多くを得たし、今でもそれを宝としている。そんな宝と若い人たちが時空を越えてつながる礎となればという小さな試みである。
 第1回目は、埼玉教育労働者組合の山際敏和さん、現役を退いてから「きまぐれ通信」という名の便りをいただき、教員時代や組合経験の昔や、最近読んだ本や観た映画を伝えてくれる。その通信から今回の連載を思いついたともいえる。突然の依頼にもかかわらず、丁寧で物腰柔らかな文章を早々と届けてくださった、多謝。



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会計年度任用職員の雇用についての要請 [組合活動]

ユニオン北九州の呼びかけで下記要請を行ってきました。



                             2023年5月11日
  福岡県教育委員会 
教育長 吉田 法稔 様
                   全国一般北九州合同労動組合(ユニオン北九州)
                         執行委員長  本 村  真
                   フリーターユニオン福岡
                         代表執行委員 丸 田  弘 篤

会計年度任用職員の雇用についての要請

日々、福岡県の教育拡充に向けてのご尽力に敬意を表します。
私たち労組は、一般企業及び公務員の正規、非正規労働者からなる混合労働組合です。
 さて、会計年度任用職員制度は2020年に処遇改善を目的に新設されましたが、低賃金や不安定雇用といった問題は依然残っています。私たちは昨年度、戸畑にて会計年度任用職員制度の学習集会を開きましたが、多くの雇用不安の声を聞きました。
特に、会計年度任用職員制度は単年度契約で、多くの自治体の行政部門では更新上限を2回と設定しているため、22年度末に雇い止めが相次ぐ恐れがあると不安が広がっていました。その為、当労組は雇用の安定を求める申し入れを先般、北九州市、北九州市教育委員会、福岡県に行ったところです。
教育行政部門では2018年10月に出した総務省の『会計年度任用職員制度の導入に向けた事務処理マニュアル(第2版)』に沿わない従来の非正規雇用が散見されるようでした。   貴教育委員会もご存じのように、総務省は2022年12月に上記の『事務処理マニュアル』の修正等を行いました。しかし、貴教育委員会が雇用する会計年度任用職員は多種多様にわたっていますが、総じて言えることは低賃金が続いていることです。
公共サービスを支える非正規公務員は会計年度任用職員化により地公法が適応されることになりました。結果、それまでの労組法で保護されていた団体交渉権を奪われ差別的な扱いを受けています。将来に大きな不安を抱えながら、ぎりぎりの状態で勤務する状態は変える必要があります。私たちは今春闘において、誰もが安心して働ける職場・暮らせる社会の実現を目指して、以下のことを要望致します。
                    記
公務・公共サービス労働者、会計年度任用職員の雇用保障、処遇改善と労働基本権の回復の
ために
一,会計年度任用職員の3年上限・雇止めをしないこと。
二、雇用継続を求める会計年度任用職員に対しては、無期転換を含め適切な任用をすること。
三、時給1500円、月額25万円以上の賃金保障と時給労働者は150円以上の賃上げを求めます。




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FUF通信48号 [組合活動]

通信48号を発行しました。



人間らしく働き、生き延びるために 

 私たちは、どのような時代にどのような存在として生きているのか、それを考えることは人間である限り大切であり避けられず、それこそが「人権」とは何かを問うことだろう。個が尊重されるためには、一人ひとりがその人らしく尊重されなければならない。前号通信より朝鮮学校の先生らの思いを連載しているが、前回のチェ・リョナさんが言う「自分らしく」ということの意味だ。当たり前に保障されていると思っていたことがそうではなかった、差別や弾圧の歴史や現在があることを自ら学び、改めて自分とは何かを考え、自分らしく生きることを追求して、彼女(彼)らは朝鮮学校というコミュニティで生きている。それによってより自分らしさを身に着けて生きていこうとしている。このことをもっとさまざまな角度から私たちと同じ時代に、同じ国、地域に生まれて生きてるものたちとして相互に刺激しあうことで自分らしく生きていきたい。
 私たちフリーターユニオンに集うものたちは何者なのか。それは資本に対しての「持たざるもの」、現時点ではフリーターという言葉で表してきた非正規雇用問題があり、正社員に対する非正規雇用労働者への差別も厳然としてあり、同じ労働者としての人権を侵害している。正社員が非正規雇用を差別してるのではなく、国の政策、企業の待遇がそうさせている。この「差別」を容認したまま、国は男女雇用均等法だとか、同一労働同一賃金を謳った有機雇用労働者法などが立法されていることにも矛盾が存在するのではないか。
 そのようなことを前提に今回の年末企画のテーマはある。「人権」とは何か?ヘイトとは?ハラスメントとは?差別とは?を問う学習を行った。自分自身の人権が保障されずに、他者を思いやることなどできず、この社会の片隅に生きる自分は何者なのか考え広い世界を見ることこそが、生きやすさにつながるのではないか。日常的には、職場の「人間関係」が面倒だとか上司の誰が嫌だとか、それ自体はどこにでもありふれたことであるが自分にとってはこの世の終わりかのようにも思える。しかし、その職場から離れてしまえば他の職場でも似たり寄ったりのことは起こり得ることがわかる。すなわち、ハラスメントや人権といった視点を持って自分が自分らしく働けるかどうかは、資本主義というイデオロギーに支配された資本制社会で起こっている問題に起因する普遍的な課題でもあるのだ。
 近代は、個の尊重が謳われ、とりわけ日本でも戦後民主主義において個人主義がもてはやされ、お金さえあれば一人で生きていける?大家族や地域の力を借りる必要もない?そういった「個人化」が行き過ぎた。それで「団結」なんてできるのかということだが、個人主義が悪いといってるわけでもない。一人ひとりが自分の意見を持ち、主張し、自分という個を問い、「持たざるものたち」にとって生きやすい社会とはどのような社会であるのかを学ぶこと、ぐだぐだと述べたがそれこそが「共に」であり、個の「自立」だろう。

 今回の年末企画の提案は、大学で刑法を専門に教鞭をとる組合員である櫻庭さんによる「インターネットのヘイトスピーチ炒め~ほんのり労働法ソースを添えて」とのタイトルで、ざっくり言えばヘイトスピーチ規制法と差別やハラスメントとの関連を整理して、持たざるものたちが働く現場で起こるハラスメントなどとの関連や身近になったSNS上の問題についてわかり易く整理されたものであった。以下、レジメのまとめを引用する。

・特定人に向けられていないヘイトスピーチの規制は難しいが、一方でオフラインでは使用者の労働者に対する影響力・労働環境などを考慮することで、他方でオンラインでは大規模プラットフォーム事業者の影響力に伴う社会的責任に着目することで、規制の糸口がみえはじめている。 ・法学的には、ヘイト発信者を刑法上の犯罪として処罰する!という直接的アプローチよりも、使用者や企業のヘイト阻止義務として構成する間接的なアプローチへの注目。 ・差別論的には、加害者の意図や行為よりも被害者への効果に着目するアプローチの萌芽 ・そしてなによりも、使用者や大資本に抵抗するFUFと、なんとなーく共通の問題意識がある気がしませんか!?

 久しぶりに福岡まで足を運んでくれた櫻庭さんはじめ遠方在住者や初期からの組合員などなど多くの組合員が集い、組合員の提案による年末企画そして手づくり鍋を囲んでの忘年会を行うことができた。このことこそが、労働組合の存在意義であり、それぞれが労働組合を必要としてるという証だと確信でき、楽しい時間となりました。


学習会感想ーヘイトスピーチ規制における労働組合の役割

 何とか忘年会には間に合いましたが学習会には出られず。「レジュメは読んでいます」ということで、思ったことを書いてみます。
 労働法的な観点を入れた(ということは、労働組合の観点からの)ヘイトスピーチについての議論というのは非常にユニークなもので、また、労働組合がヘイトスピーチに対抗するための法的根拠、ヘイトスピーチ規制における労働組合の役割を知ることができ、非常に参考になりました。直で聞けなかったことを後悔しました。自分なりに参考になった点をまとめてみると、次のようになります。
 「職場環境配慮義務」の中に、差別的な言動が職場で行われることを禁止したり、差別的思想が職場で醸成されたり、人種間の分断が強化されないように配慮する義務があり、それを怠ると不法行為又は債務不履行の責任を使用者が問われるわけで、差別の問題は職場環境配慮義務違反という具体的な債権債務関係を発生させる法律上の問題となる。以上の形で差別の問題を設定するならば、差別の問題が団体交渉の議題となることは明白となり、このような交渉を通じてヘイトスピーチ問題、差別問題に関与することができ、また関与していかねばならない。ということになるのではないか。櫻庭さん、示唆に富んだ発表していただきありがとうございました。










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FUF 2022.12.29年末企画&忘年会 [組合活動]

遠隔地の組合員から、古くからの組合員、新しい仲間などなど、とにかく集まりましたー
学んで、食べて、飲んで、吐き出しあって、交流しあって、楽しくも充実した年末の一日となりました。
来年も生き延びていきましょう!



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通信47号より [組合活動]

2022.10.14発行 第47号 


「新しい」資本主義? アベノミクス?アベノマスク?



ぜんぶ、安倍のせい?!      

 太田昌国さんは、映画「ぜんぶフィデルのせい」と「言わなければよかったのに日記(深沢七郎)」にヒントを得て、『現代日本イデオロギー標註「ぜんぶ、コロナのせいではないの日記」』とタイトルをつけたそうです(関心のある方はぜひご一読ください)。ほんの2年前のアベノマスク騒動すら記憶から消えつつある私を含めた忘れっぽい日本人にとっては、「ぜんぶ、安倍のせい」のほうがウケルかもだしわかり易いのかもしれない。だが、そこで立ち止まって考えることの重要さを思う。いまや、命や健康を金で売り買いする社会でSDGsなどと嘯き、コロナ禍すら消費とすることが新しい資本主義とでもいいいたいのか。フリーターユニオンの存在も含めて「ぜんぶコロナのせいではない」ことの真理を追求すべく自らの頭で考え判断していくことを貫くしか生き延びる術はないと、持たざるものたちの知恵を寄せ合い発信し続けてきた。そのことで、少なからず組合員のみならず、読者や初期メンバー、相談を含めた反応は続いている。
 結成当初の10数年前、「生きづらさ」だとか「五月病祭」だとか「働いたら負け」だとかを発信しまくっていたころからの読者である。当たり前だがいつしか読者も子育てをし、子どもの学校と向き合う日々となっているのだった。子どものマスク問題で学校とぶつかり、悩んでいるとのこと。その自治体での教育委員会のマスク対応は、「一人がしないとみながしなくなる」といった全体主義丸出しの学校体質をそのままに現したものでしかなかった。マスク問題となるといよいよ周囲の理解が得られないとのことだった。フェイスブックでの発信で看護師として奮闘する現状に加え、働きながら学んでいること、その上でこのコロナ禍での医療現場の違和感についても明らかにできる範囲で発信している初期の元組合員もいる。大きな違和感と疑問を持ちながら、現場で耐え、孤立にも負けずに働き学んでいることに、勇気を得ることもある。
 首都圏に進学し就職8年目の初期組合員も、最近、仕事だけではない生き方を求めてオンライン学習会に積極的に参加している。10月から週4日労働を目指すそうだ。イギリスでは先行して概ねうまくいってるらしいが、日本では制度はあってもこれを利用する社員はほぼいないらしく、この選択はさすがFUF組合員といったところか。さらには、結成当初のメンバーで親の介護でやむなく福岡を離れ、縁が切れていた組合員からも電話があった。突然の名前のない着信に出ると、「Tです。覚えてますか? 」と。覚えてますとも!一瞬耳も疑うくらい時が過ぎていたが、10数年前の結成当初のメンバーTさんの落ち着いた誠実そうな声は変わらない。「まだフリーターユニオンやってたんですね」「生存報告です」と当時、彼が名づけたその名前を切り出して近況を報告してくれたのだった。
 組合の電話が頻繁に鳴っているわけではないが、初めて出会う貴重なコールもある。非正規雇用問題を憂いコロナ禍後の社会を危機感を持って電話してきた方が、事務所での会議に参加して自分の課題で取り組める組合を探しているのこと。会議に参加して問題意識を共有することもできたり。そして、9月の台風と同時期にやってきた相談は、『コンセプトカフェ」での解雇であった。これもフリーターユニオンと同じ時期に結成し、キャバクラユニオンで全国にその闘いを知らしめたフリーター全般労組を通じてのものだ。労働者としてすら認知されてこなかった業界にメスを入れたのは全般労組だった。その闘いの成果が相談者につながり新たな闘いとなっていく。ステイホームだとかソーシャルディスタンス?といったコロナ禍がなした人と人をより孤立化させた社会に、持たざるものたちに必要とされたものもまたくっきりと浮かび上がった。そして、今号通信には、そのようななかでつながった地域や全国の仲間(全世界へと広がるよう願いつつ)が集ったと思う。
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fuf学習会報告 [組合活動]

「ファンド規制と労働組合」野中郁江+全国労働組合総連合会 新日本出版社(2013)
                         
 物を生産して利益を得るという時代から、金融取引によって利益を得るという資本主義の変化を背景にしてブルシットジョブ現象が発生し、ジェネレーション・レフトや寝そべり族という形で抵抗が生じているというのが、これまでの学習会の流れであったが、ここまでで触れられていない問題がある。
それは、上記のような現代資本主義の変化が、労働組合運動に対し、どのような問題をもたらしているのかということである。この問題については、労働組合はこのような変化をどのように捉えるのか、また、そこにおいて労働組合の在り方について検討するということは、重要な問題ではある。ただ、このような問題を考えるにあたっては、理論的な検討も大切ではあるが、抽象的過ぎて分かりにくくなる可能性があるため、実践的・実務的な問題を通した方がより考えやすいだろう。
そのようなわけで、今回については、金融化した資本主義が労働組合法上、あるいは労働組合運動にとってどのような問題を生じさせるのかということについて、「ファンド規制と労働組合」を取り上げて、学習していくこととする。
内容について簡単に説明すると、会社を支配するファンドに対して労働組合はどのように対抗したのかということを扱っている。対抗するための組合の方針は「持続可能で長期安定型のまともな経営」を求める、会計上の不正を追及する、ファンドに対して法的規制を求めるというものである。
これらの方針については、モノづくりを中心とした資本主義への回帰、公正な金融取引や金融活動という考え方が見られる。そこに全面的に依拠することは、寝そべり族やジェネレーションレフトが提起している問題意識を汲み取ることは出来ず、労働組合運動の可能性そのものを狭めてしまうことになってしまい、その意味では既存の労働運動の思想的な限界を表していることは否定できないと考えられる。

序文 グローバル資本主義化のファンド
 ファンドとは投資会社等がジェエラル・パートナー(無限責任)他の投資家から出資を受け入れる形で組成される。ファンドには伝統的ファンドと代替的投資的ファンドが存在する。前者が株や債券などを投資対象にする一方で、後者は金融派生商品、不動産、買収ファンドなどを投資対象としている。
近年、ヘッジファンド、プライベートエクイティファンド(PEファンド)といった代替投資ファンドが成長している。ヘッジファンドは株や外国為替の短期売買によるによるキャピタルゲインを狙うものであり、PEファンドとは企業そのものの売買を行うという特徴を持っている。伝統的ファンドは株主として経営者に対して要請することに留まる一方で、PEファンドは新たな経営者の派遣等を通じて、事業再構築など企業経営に直接関与する、「ハンズオン型」投資を通じて短期的に株価でみた企業価値を高め、企業の売却時のキャピタルゲインを最大化する特徴を持っている。人格的には「支配株主」と「経営者」の分離を維持しながら、実質的・機能的には支配株主と経営者の再統合を行っていると言える。
PEファンドによる企業買収は、事業の再構築を通じて企業価値を高めるという評価をされる一方で、買収先企業の内部留保といった形成資産の略奪が行われ、そこで働く労働者の権利や生活が破壊されるという事態が頻発しており、このような略奪的な形で利益を上げることがPEファンドの特性であるが、それに対する規制が必要である。また、「伝統的ファンド」の投資が「代替投資ファンド」の投機的・略奪的行動を支える関係があり、PEファンドのみならずファンド総体の投機的・略奪的行動の規制が不可欠である。

第1章会社がファンドに支配された
Ⅰ アデランス‐スティールパートナーズによる買収と支配
外資ファンドのスティール・パートナーズ(SP)によるアデランスの買収と支配。SPが大株主となり、経営陣を送り込み、SPがアデランスの実質的支配者となり、経営改革が行われたものの、その実態は資産の整理による現金化と株主への還元、人員削減を意味するものであった。
 2009年6月末に経営陣が新しくなり経営改革が出されたのを受けて、2009年10月に全労連全国一般東京地方本部アデランスグループ支部が結成された。ファンドの支配に対決し「まともな経営を求め」て労働組合は闘っている。支配株主であるSPは交渉を求めるべき相手であるが、所在も責任体制も把握できない正体不明者であり、団交権が及ばず情報が一切開示されていない。

Ⅱ カイジョー事件-再生ファンドは会社を救ったか
 NECの関連企業の一つであり、魚群探知機や半導体製造装置を主力とする(株)カイジョーは2005年2月に半導体製造装置部門が半導体不況による影響で損失を計上し、経営困難な状況に陥り、NECのリストラの対象となった。
 メインバンクから資金供給元兼企業再生の請負人としてフェニックス・キャピタルというファンドが紹介され、カイジョーはフェニックスに対して第三者割当増資を行った。フェニックスはそれを引き受けてカイジョーの株式86.1パーセントを取得し、カイジョーの親会社となった。
 2005年の10月にカイジョーは140名の希望退職を募集するが、希望退職のための面談で退職や出向を迫り、希望退職のための面談を強要するなどのことを行っていた。2006年には会社分割した子会社を売却して100名を転籍させた。全日本金属情報機器労働組合(JMIU)カイジョー支部は会社と争議を行っていたが、フェニックスは団体交渉の求めにも応じず、親会社としての責任を果たさなかった。
 フェニックスは2012年1月にカイジョー株を澁谷工業(株)に売却し21.1億の損失を出して撤退している。カイジョーの有していた有利子負債は20億弱まで減少しており、フェニックスの介入は、銀行がカイジョーに対して有していた資産を回収することが主たる目的だったのではないかと考えられる。
 闘いの課題として、ファンドの規制と情報開示を徹底させて、介入したファンドに健全な経営参画を行わせること、売却・譲渡先企業との譲渡契約内容の開示が必要であり、少なくとも「不当労働行為や組合排除」等は行わない旨と違反した場合の担保も含めた協定書等をかわす必要がある。企業が健全に経営を継続し、被支配企業の労働組合が適時チェックできる枠組みを作るために、労働組合として大きな運動が求められる。ファンドに対する労働者の「情報請求権」を法規制として確立する必要がある。また、合意協力型の労使関係を追求し「人と技術を大切にする企業」としての企業価値向上を目指し、企業の中長期的の政策的提起を行っていくことが求められる。

Ⅲ ユニオン光学事件-「違法」ファンドによる企業荒らし
 ユニオン光学の支配株主となったファンドが証券取引等監視委員会から「偽計」容疑で告発され、ファンドの代表者は逮捕されたという事件。
 ファンドはGトレーディングスというファンドで、ユニオンHDという持ち株会社を設立し、ユニオン光学はユニオンHDの子会社となった。ユニオンHDはその後、企業買収を繰り返して子会社を増やして売り上げを上げたものの、同時に2006年から2009年の間だけでも261億円を超える特別損失も出し、2009年にユニオンHDの社長が実際には約2億5千万円しか振り込まれていないにもかかわらず、約4億6千万円の増資を行ったかのように見せかけた、「偽計」で逮捕・有罪となった。
JMIUはユニオン光学がユニオンHDの子会社にされる際、ユニオンHDと団体交渉権を確立し労使協定を確立させた。しかし、団体交渉の場では特別損失についての説明を行わないなどユニオンHDは不誠実交渉を繰り返すも、組合側は不当労働行為の救済申し立てを行わなかった。最終的に会社は破産したものの、組合員が破産会社の資産を買い取り、ユニオン光学を再建させた。
ファンドによる支配と闘う上での課題、方向性として、①持ち株会社に対して、子会社の団体交渉権を確立し説明責任を義務付けること、②ファンド経営者は事業に責任を持つ「組合嫌い経営者」と異なり、リストラ「合理化」、資産売却、事業売却などを「聖域なし」で実行する。労働組合運動は次のようなことを重視すべきである。正体不明のファンドの実態を解明し、ユニオンHDの社長のような経営者の法的責任を追及できる法的枠組みを検討、悪徳経営者の排除のために職場では組合と管理職を中心に「不公正なファイナンスを止めさせ、モノづくり経営を再生させる」という要求で共闘しそれを社会的世論にしていく、有価証券報告書に加えて「適時情報開示義務」「親会社状況報告書」「東証上場規制」などを活用し闘える武器を持つこと、「不公正ファイナンス」を行うような経営者は労働者・組合の利益と必ず敵対するため友好的に見えても幻想を抱いてはいけない。

Ⅳ ファンド支配と不公正ファイナンス‐第三者割当増資をめぐる問題
 日本においてはファンドが企業の支配権を握る場合、第三者割当増資を引き受けて経営を掌握するパターンが多い。第三者割当増資というのは、特定の第三者に募集株式を割り当てることによって増資するという株式会社の資金調達の一つである。このような資金調達(ファイナンス)は既存株式の権利が著しく侵害されることがあり、それらを「不公正ファイナンス」と呼ぶ。
日本は英米に比べて既存株主の新株引受権の保護が徹底されておらず、第三者割当増資による企業支配がやりやすいため、ファンドのターゲットにされやすく、不公正ファイナンスの温床になっている。

第2章 ファンドの支配に立ち向かう昭和ゴム労組
 昭和ゴムは明治製菓のグループ企業であったが、1992年に経営危機に陥り2000年に明治製菓がファンドに保有株式を売却したことで、それ以降はファンドに支配されることとなった。複数のファンドの支配下に置かれた後、現在はAPFの支配下に置かれている。それまでの証券市場から差益を収奪することを目的とした超短期利益追求型ファンドの下において労使関係は円満であったが、APFは不当労働行為や組合攻撃を行っている。
 昭和ゴム労組は、1992年の経営危機以来「会社を倒産させない闘い」として企業再建闘争を開始した。2006年から複数のファンドが昭和ゴムに介入し、本業とは全く関係のない事業を打ち出して、その事業資金を昭和ゴムから持ち出すという形で、資金の流出が起こった。昭和ゴム労組は資金流出について団体交渉を行う中で、投資委員会を設立し組合の代表がそこに入るなどの一定の成果を勝ち取ってきた。
 AFPはそれまでのファンドとは違い過半数の役員を送り込んで経営に直接関与してきた。AFPは短期間で増資の二倍額の資金をAFPのグループ企業に持ち出し、投資内容の説明や返還を求める組合に対しては、労使協定の破棄、組合役員処分等の不当労働行為で報復してきた。
昭和ゴムは2009年6月29日の株主総会で、昭和ホールディングスへの社名変更と持ち株会社への移行が決議され、同年10月1日に会社分割が行われた。それまでの昭和ゴム株式会社は昭和HDの子会社となった。親会社である昭和HDに資産が全て移行する一方、従業員は子会社に転籍することとなった。
会社が分割されることで、親会社である昭和HDは団体交渉を拒否し、都労委も団交応諾義務の確認は却下している。また、会社分割された際、労働者の労働条件が継承されることを定めた「労働契約承継法」があるものの、子会社への転籍は労働組合や労働者の合意を必要とせず、拒否すれば解雇されるというという問題が存在する。
昭和ゴム労組はAPFに対して、団体交渉や労働委員会の申し立てという闘い以外にも、金融庁や公認会計士協会に対してAPFの金融商品取引法違反、架空増資や有価証券の虚偽記載に関する調査や監査の要請行動、株主代表訴訟という方法を使って闘ってきた

第3章 ファンドとは何か
 ファンドとは金融商品取引法上では「他者から金銭などの出資・拠出を受け、その財産を用いて事業・投資を行い、当該事業・投資から生じる収益を出資者に分配する仕組み」としての集団投資スキームを意味する。
 集団投資スキーム型ファンドには様々な種類があるが、株や債券などを投資対象としてきた伝統的ファンド(機関投資家)が1980年代以降、投資分散化の対象として拡大してきた。それらは伝統的な投資対象に代替するものとして「代替投資ファンド」と呼ばれてきた。1章、2章で取り上げたファンドは、プライベートエクイティファンド(PEファンド)という種類のものである。
 PEファンドはその性質上、会社の経営に介入することになるが、その際の労働者保護の規制は不十分である。2004年3月にアクティブ・インベスト・パートナーズ(AIP)設立のファンドが東急電鉄から東急観光を買収したのち、買収後の経営陣はそれまでの労働協約や労働慣行を無視した合理化を実施し、AIP社が団交に応じないため、東急観光労組が労働委員会の救済を行った。厚労省はこれを受けて2005年に「投資ファンドにより買収された企業の労使関係に関する研究会」を組織し対応策を検討したが、法制化は見送られ、ファンドの使用者性は1995年の朝日放送事件の最高裁判決に基づいて「現実的かつ具体的に支配決定しているか」を個別に判断すべきとした。結果、日本の法制度はPEファンドの「略奪的」投資による企業の成長基盤の破壊、労働者の無権利状態が「規制上の空白」として放置されるままになってきた。
 会社の経営権を掌握したファンドに対して、労働組合はファンドの責任追及などを通じて対抗する必要がある。その手段として団体交渉があるが、会社の経営権を掌握したファンドが労組法7条の「使用者」に当たるかどうかについて、つまり団交応諾義務があるかどうかについては、個々具体的に判断するというのが現状である。
労組法7条の使用者概念の判断基準は「支配力説」と「労働契約基本説」が対立している状態である。支配力説は「労働者の人事や労働条件等の労働関係上の処理液に対して影響力ないし支配力を及ぼし得る地位にあるもの」で労働契約基本説は「労働契約関係ないしそれに近似ないし隣接した関係を基盤として成立する団体的労使関係の一方当事者を意味する」として労働契約関係の存否を中心に限定的に解する考え方で、具体的判断基準として「当該労働者の労働条件について現実且つ具体的に支配・決定することができる地位」を要件とする。前者に比べて後者の方が基準が厳格になっており、中労委・裁判所は労働契約基本説の立場に立っており、ファンドの使用者性は認められにくい。
 ファンドに対する責任追及として団体交渉以外にも、①法人格否認の法理による親会社・ファンドの責任追及、②会社法429条1項に基づく取締役に対する損害賠償請求、➂株主代表訴訟に基づく取締役に対する損害賠償責任追及が挙げられる。
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7月FUF学習会 報告 [組合活動]

下記テキストにそって学習会を開催しました。難しい経済学的用語が飛び交うように見えるけれど、学習内容はそれを身近な私たちの生活、マネーに即したわかりやすい話でした。
そして、改めて多くの気づきを得ることができました。
何も知らずに、政府はひどいとか、政治が悪いとか言ってても仕方ないですからね。
私たち自身の労働、生活、消費的スタイルなどなどのひとつひとつを意識を変えていくための学習です。

※レジメの内容については、後半はテキストの要約であり組合や私たちの主張を述べているわけではないです。あくまでテキストに即した学習のためのレジメです。念のため。
答えは自分で探さないとね。



学習会「略奪的金融の暴走」鳥畑与一 学習の友社 

はじめに
 寝そべり主義、ジェネレーションレフト、ブルシットジョブと学習会で扱ってきたが、今回はそれらの議論の前提となっている、資本主義経済の現状、つまり資本主義の金融化についてとりあげる。
寝そべり主義が出てきた背景は、中国の経済成長を支える労働環境996、007(9時から9時まで週6日、0時から0時まで週7日という働き方)と格差の拡大やローン等の負債の増大が挙げられる。先進国の資本主義が金融商品の取引で利益を上げている一方で、実際のものを作るというのは中国をはじめとする発展途上国が担っているという構造になっている。西側諸国とは状況が違うかもしれないが、不労所得を得るという金融商品の売込みに対して批判しており、金融化の批判という文脈は共有していると思われる。
ジェネレーションレフトにおいては、統治モデルとしての新自由主義がどのように展開してきたかという観点から、若者が左派を支持する現象を説明している。そこではリーマンショックが一つの時代を画する出来事として取り上げられているわけであるが、これは世界的な金融システムの崩壊であり、それまでの金融重視の資本主義(資本主義の金融化)の破綻がその背景にある。
ブルシットジョブが出てきた背景もやはり、リーマンショック~ウォール街占拠運動の文脈の中においてである。だから、当然のこととして、その背景には、先のような資本主義の金融化ということが挙げられる。金融化された資本主義は、企業はモノの生産ではなく、手数料や使用料、地代などを平民から徴収し、それを再分配に関与していく。先進国においては、モノを作って売って収益を上げるのではなく、金融商品に投資してその収益を上げるという構造に資本主義が変化している。ブルシットジョブ現象とは、そのような資本主義の構造を背景にして出てきた、賃金労働の在り方である。

 はじめに 「金融立国の幻想」
世界の資本市場の規模は約230兆ドルの資本資産(銀行資産、債券、株の時価総額)で世界のGDPの55兆ドルの約4.2倍超にまで巨大化している。貧困半減などの国連ミレニアム目標実現に必要な資金額は年間1000億ドルで、貧困半減の資金は十分に存在している。 
だが、年金基金や投資信託といった機関投資家によって運用されたマネーの一部が、ヘッジファンドなどの投機的ファンドに流れ込み、巨大な投機マネーがITバブル、サブプラムローン問題、石油・穀物価格の高騰をもたらし、世界の貧困化を加速している。
 投機マネーの支配は全てを株価で評価する価値観を拡大してきているのだが、株式時価総額の増大は企業や国民の利益の略奪を通じて生み出され、金融資産という富の増大自身が貧富の格差を極限にまで押し進めながら進んでおり、このような投機による金融膨張は実体経済の基盤を破壊し、バブルの膨張と崩壊を通じて巨大な社会的損失をもたらすことになる。金融資産は高額所得者層に集中しているために、金融資産の時価総額の増大や運用益は金融資産の保有層=富裕層が独占することになる。その他の資産を持たない層はそれらの恩恵は受けないが、リスクの受け皿として損失だけは被る。
 このような投機マネーが暴走する状態になったのは、投機的利益の極大化を目指す投機家本位の金融改革(金融面での規制緩和・自由化)とそれを支える新自由主義的金融理論である。多国籍独占的金融機関がモノづくりによるインカムゲインではなく投機的利潤への依存を深める中で、投機家本位の国際金融システムを作り出していった。
 日本政府は「金融立国」という方針を出しているが、その意図するところは、投機家の利益極大化を目指したマネーゲームを支える経済システム作りであり、投機家本位の金融改革である。それは投機家の利益をもたらすが、世界と日本の経済と暮らしに大きな犠牲を強いるものになる。

1章投機マネーの暴走と略奪性
(1)マネーの膨張と投機性の高まり
 投機マネーの暴走の背景には、実体経済を上回るマネーの膨張がある。マネーの膨張は実体経済が生み出す利益の分割部分を収益源とするマネーの収益率の傾向的低下、投機マネーの競争激化を引き起こし、個々のマネーの運動の投機性・略奪性を高めることになる。例えば、ハイリスク・ハイリターンという投機的な資金運用の拡大と、企業利益からのより大きな分け前の要求といったように。マネーの膨張は、投資から投機への変質、「経済の金融化・投機化」を通じて実体経済並びに家計への略奪性を法則的に強めてきた。

(2)投機性と略奪性について
 投機マネーの運動は、投機性とともに略奪性を本質としている。投機性とは一定の現金収入をもとにして形成される擬制資本価格の変動から値上がり益(キャピタルゲイン)を獲得することを目的とする点から発生する。キャピタルゲインの獲得のための投機は資本市場内で行われるが、市場参加者の掛け金のやり取りだけではマネーゲームは行き詰るため、市場外からの掛け金(リスクマネー)を必要とする。
 資本市場では、リスクを引き受けることで収益を得る。収益を上げるためには別のリスクの引き受け手という買い手が現れなければならないし、リスクマネーが継続的に市場に供給され続けねばならないわけだが、それらは資本市場での資金運用が必ず儲かるという幻想によって支えられている。その幻想を維持するために、投機的マネーは実体経済から短期的な利益の分け前の拡大=略奪を強めざるを得なくなり、90年代以降の金融市場改革によって、投機マネーの運動は資本市場内のみならず実体経済まで、その対象を拡大させていった。

(3)略奪性とは何か
 マネー膨張の結果、投機的マネーの運動が資本市場の外部に大きく拡大していくと、それは投機性とともに略奪的性格を帯びることになる。
投機マネーは短期間の利益の拡大とキャピタルゲインの獲得のために、企業に株価重視の経営を強いることになり、労働者の搾取を強める。また、株主への配当比率の拡大、低配当性向の企業の買収という形で、企業からの略奪も行われることになる。そのため、企業は短期的利益を拡大させる経営方針をとるようになり、また配当金の増額、自社株買いによる株価操作を余儀なくされ、投資資金の減少に追い込まれることになる。
 投機的マネーの運動の実体経済における支配は、経済的弱者からの略奪を強めることになる。ハイリスク・ハイリターンという投機マネーの論理を実物経済に対する金融活動にそのまま適用してしまうと、低所得者や中小零細企業といった経済的弱者、あるいは不況によって支払い能力の落ちた企業への貸し出しはリスクが高いため、高金利をとることが正当化される。このような支払い能力を考慮しない貸出しは「育てる金融から奪う金融」という金融の性格の変質を意味し、リスクを経済的弱者に押し付け、略奪することを通じて経済的弱者の破綻・淘汰を促進することになる。
 以上のように、投機マネーは投資を通じて利子や配当金を得るという寄生的な性格だけではなく、様々な形で実体経済から利益の分割を能動的に行っている。この投機性と略奪性は真の利益の源泉である実体経済を衰退させるというパラドックスを生み出している。

(4)略奪的金融の暴走のメカニズム
 投機的金融機関はリスクを引き受けて収益を得るわけであるが、そのリスクを他者に転嫁させる金融技術があれば、それだけ多くの収益を得ることができる。リスクテイクは「貯蓄から投資へ」という形で、政策的に拡大されてきた。だが、他者へのリスク転嫁を前提にしたリスクテイクの拡大は、金融システム全体が抱えるリスクの量をも拡大させると同時に、そのリスクの所在が個別金融機関には管理不能な状態をもたらすことになった。また、投機マネーの運動は支払い能力の乏しい層へ、支払い能力を無視した高金利の貸し出しを拡大させることになる。
 
2章略奪的金融の暴走-サブプライム危機が示すもの
 米国住宅向けサブプライムローン市場が国際金融危機に拡大したことが、サブプライムローン問題である。証券化ビジネスの肥大化が指摘されているが、サブプライム層に対する(通常の銀行貸し出しの対象になりえない信用力の低い借り手層)返済能力を無視した貸し出し(略奪的貸し出し)が問題の本質である。
 クレジット・スコアリングに基づいたリスクに基づく金利設定が、高金利なローンを正当化し、返済能力を無視した略奪的貸出を可能にした。住宅ローンなどの貸出債権を証券化して投資家に販売することで信用リスクの転嫁と同時に手数料収入を得るということで自己資本収益率を高めるビジネスモデルが返済能力を無視した略奪的プライムローンの拡大を支えていた。
 サブプライムローンの拡大は、それまで金融アクセスが困難であった層(サブプライ
ム層)が金融アクセスを可能にしたと肯定的評価を与えられた。だが、実体は返済能力を無視した貸し出しであり、返済破綻と住宅差し押さえが急増し、既存の住宅も大量に奪う役割を果たすことになった。

第3章 日本の消費者金融と略奪的金融
 日本においても消費者金融が高金利、多重債務という問題を起こしている。高金利を正当化する根拠として、高金利は市場参加者の合理的な行動の結果なので、上限金利規制は市場原理に反しており借り手の利益を損なうというものである。
 しかし、消費者金融市場は完全市場ではなく、消費者金融市場に財市場のような価格メカニズムは働かない。信用リスクに見合った高金利というのは、支払い能力を無視した略奪的金融という性格を帯びる。高金利の貸し出しが消費拡大の効果があるというが、短期的には借入拡大を起こすかもしれないが、家計が借金漬けから抜けられず、購買力の縮小をもたらす。高金利維持の要求はアメリカの金融機関の要求もあり、投機マネー利益最優先の論理に支配されている。

第4章 金融版市場原理主義による中小企業金融の衰退
 中小企業金融と政策金融は、投機本位の至上主義による信用リスクに基づく金利設定の原則を中心的な論理として再編されてきた。しかし、信用リスクに基づく金利設定は信用リスクの正確な評価は困難、信用リスクの計量化手法は過去のデータに基づく短期的なリスク管理評価であるため、景気循環を通じた長期的な信用リスク評価ができないということから、信用リスクに基づく金利設定は中小企業金融には適用できない。また、中小企業金融は市場原理では処理できない政策金融の固有の問題があり、市場原理的な改革は政策金融を否定するものである。

第5章 新自由主義的金融理論とは何か
 アメリカ自身が米国家計の債務拡大に依存した消費拡大メカニズムと対外債務の依存による消費拡大のメカニズムであり、収入以上の消費に支えられた米国経済の繁栄は巨額の対米資本投資によって支えられている。そのため、アメリカは国際戦略として金融競争力の強化を目指すとともに、日本に対して金融システム改革を行うように要求している。その際に理論的な根拠となるものが、新自由主義経済学である。

第6章 「金融立国」路線がもたらすものは何か
 金融立国論はキャピタルゲインの拡大に国富の拠り所を求めており、モノづくりをサポートする金融機能を衰退させ、実体経済そのものの弱体化を進める危険性がある。「貯蓄から投資へ」の移行は国民の財産で投機マネーの暴走に拍車をかけることになる。

終章 金融の可能性を実現するために
 「奪う金融」から「育てる金融」への転換が求められている。そのためには、短期的利益追求の野放しを許さない社会的利益の実現と調和したルールに基づく監督規制が必要。支払い能力に基づいた金利、支払い能力そのものを高める金融への転換が必要。このような育てる金融の構築は、市場原理では実現不可能であり、「市場の失敗」を補う政府の能動的な役割が求められている。



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