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「わたしたちのホンネで語ろう 教員の働き方改革」 [本や映画などの紹介]

「わたしたちのホンネで語ろう 教員の働き方改革」

https://www.nippyo.co.jp/shop/img/books/temp/08184.jpg




日本評論社より「こころの科学」の特別企画として最近出版された。

教員の働き方改革として、裁量労働制といったものが採用されるという、あまりにでたらめな政策に根本から批判を加えながら、これからの学校、公教育、教員のありかた、労働というものについて、現場で闘って来た方々の知恵を中心に編まれている。


教員ですら、なり手が減り、どの労働現場も「人手不足」という倒錯した、失業時代を迎えている。

若い人にぜひ手にとっていただきたいと、編者らは訴えている。

※座談会で、フリーターユニオンが一瞬、出現!必読!
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提訴するのは、お金をかえせという以上の思いがなければできないことだ。労働者はみな、労働者としての尊厳をかけて提訴するのだ。 [雑多なつぶやき]

またまたAさんのブログから転載。 経営者と闘うには、「消費者」から「労働者」へと自覚していくことからしかない、それが今の新自由主義的社会なのだ。そして、経営者は、労働者の尊厳をかけた闘いと真摯に向き合うことしかない。法律という合理的根拠をもって。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私立学校での労働問題、またまた。 上野学園中学・高校の教職員24名が学校法人上野学園に対して総額2億円の未払い残業代の支払いを求める訴訟を起こした。 あの上野学園、ピアニスト辻井伸行さんが出た大学を抱える学校法人。石橋メモリアルホールが有名。その石橋何とかさんが創業者。 2年程前に経営悪化が報じられたのを憶えている。第三者委員会がつくられ、石橋慶晴理事長以下創業者一族に高額な報酬を払い続けたことや勤務実態のない理事長の母に報酬を払い続けたことが原因とされ、学園側は損失分を理事長らに請求すると文科省に報告した。 文科省は、大学への補助金を一部カット。経営側は所蔵していたバッハの自筆楽譜などを売買するなどしたという。身を切らずに偉人たちの残した宝物を売った。 いろいろな政争が繰り広げられる中、新体制となった学園側が旧理事長への請求を放棄、どういうわけか返還請求はしないことになったという。巻き返しがあったのだろう。 経営改善を求めた教職員代表の声楽家などを解雇、これも係争となっている。解決したとの報道は見ていない。 一方で学園側は資金不足を理由に、教職員の残業代の支払いを拒否しているとのこと。 もともと経営悪化の原因は、高額報酬のほかにファミリー企業への業務委託で高額な契約を結んでいたこともあったという。清掃業者などを一族の誰かが設立して、そこと学園側が業務契約をするという、いわば一族で学園を食い物にするというやり方。 自分たちのものを自分たちで使って何が悪い、というよくある同族会社の乱脈ぶり。 教職員の解雇や残業代不払いで訴えられるなど、学校法人としてはみっともない体たらくだが、24人の不払い残業代は均等計算しても830万円にもなる。大変な金額。これを放置してきたということは、労基法など論外の労務がなされてきたということだ。 いまだにこんな企業(学校)がlこの国にはあるのだ。 私立の学校には変形労働時間制をかたちだけ援用して、正規の残業代を長期休業中に「時間で返す」ところもある。法律通りに変形労働時間制を導入すれば破綻することが分かっているので、ふんいきだけ変形労働時間制を借りるのだ。 どちらも経営の思惑は、残業代を払いたくないの一言に尽きる。 払いたくないのなら、残業をなくせばいいのだが、その努力もしない。自発性、創造性という言葉で計測可能な教育労働を計測しようとしない。 仕事をしながら闘う裁判のしんどさは想像以上のものがある。私も、自分の裁判、あるいは事務局として何度か経験しているのでよくわかる。 ふつうに仕事をしている人間が裁判に訴えるというのはよほどのことだ。提訴するだけでもお金はかかる。弁護士費用もばかにならない。 それでも、提訴するのは、お金をかえせという以上の思いがなければできないことだ。労働者はみな、労働者としての尊厳をかけて提訴するのだ。 日本では労働問題はなかなかニュースにならない。夏に1か月以上のストライキをやり抜き、労使交渉に持ち込んだ佐野SAのケイセイフーズの労働組合が11月8日、ふたたびストに突入した。会社側の反撃に対する対抗ストだったが、会社側が代替要員を送り、事実上ストは破られた模様。厳しい闘いとなっている。 労使交渉はそのくらいめんどうである。ドロドロの泥沼になることも多い。それでも逃げずに生活をかけて闘う人たちがいる。 マスコミは労働者の闘いをしっかりと取り上げてほしい。ストライキは労働者の当たり前の権利だということを伝えてほしい。 この国からいつの間にか労働者が消えてしまって、消費者の動向ばかりが伝えられるようになった。
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行き着く先は勤務条件の悪化  [雑多なつぶやき]

ハラスメント、いじめとそこだけに焦点があてられすぎるが、その行き着く先は働き方の悪化であり、労働者のひとりひとりの人権が保障されていないということだ。

学校労働者の勤務条件にこだわり続けてうん十年のAさんのブログから。
教員の変形労働時間制の導入と言う基本的な労働法も理解しない行政の提案を批判したものを引用させていただきます。

以下。




教員の勤務の変形労働時間制を導入することが可能となる給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)改正案が、国会に提出されている。

変形労働時間制については、昨年の今頃、中教審働き方部会で小川正人部会長の強引な「不規則発言」によって事実上「中教審答申」に盛り込まれることが決定、2019年1月の答申を経て、今国会への改正案の提出となった。

今までこのブログでも何度か触れてきたが、この「改正」案、ろくでもない代物である。

まず「変形労働時間制」というものの基本的考え方だが、分かりやすく云えば「残業代を払わないですむシステム」のことである。

仕事の種類によっては年間を通して、業務量が一定でない職業がある。分かりやすいのは観光や旅館業などであるが、閑散期の勤務時間を減らす一方、繁忙期の勤務時間を長くすることで、総労働時間を平均的にならして、繁忙期の残業を勤務時間の中に吸収する。

つまり、時季によって勤務時間に凸凹をつけることで、残業代の支払いを抑制できるシステムなのである。

労働基準法は、基本的にこのような「寝だめ食いだめ」方式=ワークライフバランスを毀損する形を認めていないがために、週の労働時間規制をしている。今日は12時間だけどあしたは4時間でいいよ、というかたちでは、労働者の健康的な生活は維持できないという思想が法の底流に流れているからである。

しかし、その労基法も80年代から少しずつ歪みを見せ始め、その一つとして様々な形の変形労働時間制が認められてきた。

時々の政権と資本の都合によって労働者の「健康的な生活」は侵害されてきたと云っていい。

で、今回の給特法改正案なのだが、年間を単位とする変形労働時間制導入にためには、民間であれば、職場の使用者とその職場の労働者の代表(労組の代表、その組合が過半数を組織していない場合は、民主的な手続きで選ばれた職場の代表)との間で労使協定を結ぶ必要がある。いくらなんでも、経営や資本のやりたいようにはできない、労働者組織との協定抜きには変形制は導入できないという縛りがあるのだ。

しかし、地方公務員(公立学校教員)は、労使協定を締結できず、条例制定主義によって勤務条件が定められてしまうことから、労働者の健康を著しく損なう可能性のある年間を単位とする変形労働時間制の導入は、基本的に地方公務員には認められてこなかった。

ところが、現在の文科省及び政権は、今回、そのための労基法改正案を提起せずに、給特法の改正というかたちで強引に変形労働時間制を導入しようとしている。

まずこれが第一の問題。



次に、変形制を導入する場合、法的には①対象労働者の範囲 ②対象期間の特定 ③特定期間 等々を定めなければならないが、繁忙期間を特定期間とした際に「対象期間の相当部分を特定期間とすること」は法の趣旨に反するとされる。これもしばりのひとつ。

学校の場合、実際に勤務してみると、ほとんどが「繁忙期間」となる。繁閑の差など自棄的にほとんどないのが実態である。にもかかわらず今回の案は、特定期間(繁忙月)を4・6・10・11月とした。

これはどのような根拠によるものだろうか。

官僚の机上の思いつきだろう。

想像するに7・8・12・1・3月(年度で並べると)の5か月は、おおむねいずれも春・夏・冬の学校の休業月にかかっている。授業日数が少ないと考えたのか。2月は日数が少ない。5月はゴールデンウイーク?で授業日数が少ない。9月は・・よくわからない。

法律上特定期間を設定しなければならないことから、8か月を除外したのだろうが、現場の勤務実態調査を精査して見れば、4・6・10・11月が繁忙期で、それに比べて5・7・8・9・12・1・2・3月の8か月が「閑散期」であるなどと誰に訊いても首肯しないだろう。文科省にもし根拠があるのなら示して見ろ、ということになるだろう。

今回の案は、この閑散期に週の勤務時間を3時間増やし、その分をまとめて8月に5日程度の休みとするというのである。

当初、文科省が示した案では、月によって8時間の勤務時間を10時間に割り振って、という大胆なものだったが、実際には週に3時間だけ増やして48時間程度を浮かす、にとどまったようだ。

週に3時間というのは、週5日間のうち3日間は勤務時間を1時間だけ延ばす、ということ。

何とちまちまとした改正案・・・と考えるのは間違いだろう。

協定もなく、勤務時間を増やすことができること、これがこの改正案の要諦なのではないか。とにかくわずかでも水門を開けてしまえば・・・である。

いずれは、10時間の割り振りなどが実施されるようになれば、日常的に勤務時間は現在の残業時間の一部を含み込んだものとなっていくだろう。

夏休みにまとめて取っていた年休(教員の年休消化率は総じてかなり低い)も、代わりに5日間の変形制による休暇を先に取ることになれば、年休の消化率はまた下がるだろう。

夏季休暇すら「満額」取っていない教員が少なくない。そういう教員は、年休はほとんど使っていない。変形制にによる休暇が入ってきても、使わずに終わってしまうだろう。

となると、月80時間を超える6割の教員の残業はどこで解消されるというのだろうか。

変形制の導入は、教員の勤務時間管理をさらにルーズにするだけでなく、日常の勤務時間の延長を慢性化させ、ひいては過労死レベルの「残業時間」の隠蔽につながっていくのではないか。

今回の改正案には、文科省が今年1月に初等中等教育局長名で通知したガイドライン、月45時間年360時間をもとに(たぶん)、大臣が業務量の管理の「指針」を定めるのだという。教員の勤務は、自発的なものとして、結果的に軽視されてきた。給特法が48年も「特別措置法」であるにもかかわらず放置されてきたことがいちばんの問題。特別措置法というのは、緊急事態に対して特別に策定される法律のこと。



おりしも、全国各地で教員不足が取りざたされている。

日常の産休、育休取得者、病気休職者の補填ができず、欠員状態が広がっている。「休むなら自分で代わりを連れてこい」などという声まで聞こえる。

そのうえ、教員採用試験の競争率は毎年下がり続けている。

横浜市の本年度の選考試験最終結果は、小学校1.9倍、中学校4.7倍という。

そんなに低くなったのかと思うが、よくよく考えてみればこれは選考試験の最終結果。4月時点での採用結果の数字ではない。

試験に通っても合格者全員が採用の決まる3月まで待っているわけではない。売り手市場の今日、昨今のいじめをはじめとする不祥事に屋を重ねるように出されてきた、教員を大事にしない変形労働時間制の報道など見れば、腰が引けてしまう合格者がいてもおかしくはない。



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