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ともに、自立を求めて 生きやすい社会へ [雑多なつぶやき]

年末企画にあたってのつぶやき雑感


今を生きやすくするには
 
 今という時代がどのような社会なのか、自分自身が今どのような社会で生きてるのか、そのなかで自分はどのような存在として生きているのか、究極自分はなにものなのか、というようなことを考えることはとても大切なことだと思います。そしておそらく誰もそのようなことをどこかで少しは考えて生きているのだと思います。それは人間だから。
「人権」というものが保障されねばならない社会において、人権とは何かを考え問うために、自分とはなにものなのかがなければなりません。人権とは「個の尊重」であり、個が尊重されるためには、一人ひとりがなにものなのか、その存在がその人らしく、そうありたいと思うように尊重されなければならないからです。

 前号通信から、朝鮮学校の先生の原稿を掲載、連載していこうとしていますが、前回のチェ・リョナさんが言うように「自分らしく」ということです。当たり前に保障されていると思っていたことがそうではなかった、差別や弾圧の歴史や現在があることを知り、学び、改めて自分とは何かを考え、自分らしく生きることを追求して、彼女らは朝鮮学校というコミュニティで生きてるのだと思います。そのなかで、より自分らしさを身に着けて生きていこうとしてるのではないかと思います。朝鮮学校の先生たちのことはもっともっとみなさんにはさまざまな角度から知っていただきたいとは思います。同じ時代に、同じ国、地域に生まれて生きてるものたちとして。

 さて、フリーターユニオンに集う私たちはなにものでしょうか。流行の言葉のように使ってきたアイデンティティという言葉がありますが、おそらく個がもてはやされる時代であることは確かなのでしょう。しかし、いまやその個が本当に尊重される社会なのかということではないかと思います。私たちフリーターユニオンに集うものたちは、何者なのか、私がたまに使う「持たざるものたち」という言葉は、ぎりぎり私たちを総称するにふさわしいのではないかと思って使っています。それは資本に対する「持たざるもの」です。「持たざるもの」だからこそ、自らの頭と体で、多くの力や知恵を獲得して生きて行くものたちだと思います。

 前置きが長く長くなっていますが、「人権」とは何か。それが、今回学ぶヘイトとは?ハラスメントとは?差別とは?と両輪をなす、表裏の言葉だと思うからです。自分自身の人権が保障されずに、他者を思いやることなどできないのだと思います。まずは、そのことに気づくことからなのだと。
 まずは、各自自分とはなにものか?この社会、この時代の片隅に生きる自分は何者なのか考えて広い世界を見ようではないかということです。少しでも広い世界を見ることこそ、まずは自分を生きやすくできるひとつの方法だと思います。
 職場の「人間関係」が面倒だとか、いやだとか、誰もがよく思うことです。だれだれがいやだとか、上司の誰がどうだとかです。しかし、それ自体は、どこにでもありふれたことであるにもかかわらず、自分にとっては重大なことで、この世の終わりに直面したことでるかのように考えたりもします。しかし、上司のだれだれのせいだけではないことは、その職場から離れてしまえばすぐに忘れることなので、つまるとことその程度のことであることがすぐにわかります。おそらく、次の職場でも似たり寄ったりのことは起こるに違いありません。そこは、自分自身の見方が変わり、世界が少し広くなれば変わるかもしれません、変わるでしょう。狭い「人間関係」といったよくわからない言葉で称されるものが何なのか、そのようなこともハラスメントや人権といった自分が自分らしく働けるかどうかということに関わっていると思うのです。結論めいたことを言えば個の資質のせいよりも、社会、社会で起こっている問題に起因するのだと思います。

 一方近代は、個の尊重が謳われ、とりわけ日本でも戦後民主主義においては、個人の尊重、個人主義といったことが言われ、核家族だとかが普通になり、今となっては一人暮らしが多くに生活スタイルにもなっています。いまさら地域共同体てきな町内会や自治会など成立しません。「隣は何をする人ぞ」です。それは、そういった社会を人が求めた結果でもあります。人と関わるのは面倒くさい、お金さえあれば一人で生きていけるし、あえて大家族や地域の力を借りる必要もないのでしょう。
 個人情報が叫ばれ、むやみに個人であることがすばらしいことのように言われるようになりました。それで「団結」なんてできるの?ですが。笑 ただ、個人主義が悪いといってるわけでもないです。個人が自立することが大事だと思います。一人ひとりが自分の意見を持ち、主張し、自分という個を問いながら学び生きることは大事です。冒頭からそう言ってます。

 そのようなことを、共に考え共有しながら、「持たざるものたち」にとって生きやすい社会とはどのような社会であるのかを学んで行けたらと思います。それこそが、「共に」であり、個の「自立」ではないでしょうか。



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