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ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の論理 [本や映画などの紹介]

デヴィッド・グレーバーが亡くなったということで、この本も注目を浴びたのかもしれないが、では、デヴィッド・グレーバーがどれほど知られているのかと言うと全く見当もつかないが、この「ブルシット・ジョブ」という聞きなれない言葉も含めて、彼の死を悼むためにも、果たして彼が何を言おうとしていたのか知っておきたい。



翻訳の酒井隆史氏の解説「日本人のためのブルシット・ジョブ入門」から引用。


無意味な仕事に苦しむひとたちのために


さて、ここから5の論点に戻って、そこで見落としてはならないBSJ論のねらいを確認しておきたい。

しばしば誤解されているようにみえるのだが、BSJ論はBSJを攻撃しているのではない。あえていえば、そこで攻撃されているのは、BSJを生産し増殖させているシステム総体である。

現在の金融化した資本主義システムが作動するとき、必然的に、この壮大な「ブルシット機械」も作動をはじめるということである。BSJ階級もSJ階級も、その機械に押しつぶされているものなのであって、この機械をこそ壊さなければならない。少なくとも、『ブルシット・ジョブ』のねらいはそこにある。

そんな、世界的に配備された「惑星的ブルシット機械」の作動を止めることは、わたしたちが「労働」から解放されるときだろう。

そしてそれは、実は、すでに実現しているかもしれないのであって——グレーバーは週15時間労働の実現といった、ケインズがわたしたちのこの時代にむけた予測は実質的には当たっているという——、BSJは、その実現を、つまりわたしたちを「いい感じ」——一日、2,3時間働いて、あとは自由に、自発的に、不安も拘束もなしに活動することができる——にさせないため、それを阻止するために、その道のりをふさいでいるのかもしれない。

そういったわくわくする想像をさせてくれるだけでも、本書はなにがしか「意味のある」仕事をなしているだろう。

そこには、わたしたちとおなじように苦しい人たちの言葉がたくさんある。そして筆者はそれらの言葉に耳をかたむけ、そのような苦境がなぜ生まれるのかを四苦八苦して——本当に四苦八苦という感じなのだ——考えようとしてくれている。

どんな仕事であれ、世間がどうみている仕事であっても、それがいやで仕方のないたくさんのひとたち、あるいは、仕事のなかのわずかのよろこびも無意味な作業に日々浸食され、つらく感じているたくさんのひとたちに、それはきっと届くはずだ。





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