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FUF学習会  ウーバー [組合活動]

フリーターユニオン福岡のオンライン学習会。(Q)

本日は通院との兼ねあいもあって一人早めに退席。テキストは例の『アマゾンの倉庫で絶望し……』の四章、ウーバー。私的な結論を一言で述べると「現代の資本主義下で働くのはもはや無理ゲー」。もうちょっとちゃんとした感想は後で書くかもしれないが不明。‬


 以下追記。まとまった感想にはならない予定。ウーバータクシーは悪辣と聞いていたが、これほどまでとはというのが正直な感想。ごく簡単に言うとアプリを使用した「柔軟な」働き方を謳うことで使用者としての責任を回避し、運転手の「労働者性」も認めないというもの。当然、労働者としての権利はゼロ。


 私は就職氷河期世代で、ユニオンではその一つ下二つ下の世代を見てきた。そういう人々は私のような年寄りと一緒にされるのは嫌だろうけど、基本的に私は「新自由主義」という資本主義のモードは変わってないと見ている。委託や請負や自営で使用者としての責任を回避したきたのも、古くからあるやり方。

 とはいえウーバーのような存在は、テクノロジーの意味でも現代資本主義的にも最先端、最過酷な環境を行ってる感があり、正直ナショナルセンターだの政党だのに、今後きちんとした働き方を求めても、もう無理なんじゃねえか?と思う。資本主義のモードはにわかに変わりつつあるのか?私にはわからない。

 でも、労働市場に参入するということそのものが「怖い/恐ろしい/危うい」ものになった来たのではないかという意見が、メンバーからも聞かれた。私もそう思う。なお、FUFには働いている人もそうでない人もいる。私としては、資本主義を離れたところで、自分自身の生き方を模索していきたいところ。


 ‪余話。記述はイギリスの事情に基づくので念のため。あと、この著者はジャーナリスト/ルポライターではあるのだろうが、読者を引き込むちょっとしたフックが上手い。ごく初期のナオミ・クラインを思わせないでもない。各章の導入部のちょっとした細部の記述とかが良い。

 もちろんそれも過剰な装飾となっては良くないのだろうが、「これが最先端の資本主義に蝕まれた今のイギリスだ」というのがこの本のテーマだろう。邦題『アマゾンの倉庫で絶望し……(略)』は、明らかに煽り過ぎである。


https://www.facebook.com/shoichi.ashihara/posts/2877891085655501
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2)
二番目の用件は、その学習会でも出たウーバーへのフランスでの司法判断です。朝日新聞朝刊の18日に掲載されたものです。有料記事につき、テキストをそのまま貼り付けておきます。


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ネットで仕事仲介、フランスの政策は 細川良・青山学院大学教授
2020年5月18日 5時00分
写真・図版細川良・青山学院大学教授  

 ネットを通じて仕事を仲介するプラットフォーム事業が広がる中、そこで働く人々をどう保護していくかが各国で課題になっています。今年3月、フランスの最高裁(破毀(はき)院)が、配車アプリ「ウーバー」の運転手は独立した事業主ではなく「労働者」であるとの判決を出しました。判決の特徴とフランスの政策について、現地の事情に詳しい細川良・青山学院大学教授(労働法)に聞きました。(編集委員・沢路毅彦)


 ■雇用対策に有効、事業拡大の方針 事業者には職業訓練を義務づけ

 ――今回の最高裁判決をどう受け止めましたか。

 「昨年、パリの高裁(控訴院)が、ウーバー運転手は労働者にあたるという判断を出していた。最高裁も基本的には高裁の判断を維持した。従来の判例の基準をそのまま当てはめたもので、伝統的な判断だ。プラットフォーム事業を推進する側からすると、保守的な判決という批判もあるだろう」

 ――どのような点が「伝統的」なのでしょうか。

 「フランスでは、1996年の最高裁判決で、労働者かどうかを判断する考え方が定まっている。(1)命令を受けているか(2)コントロールされているか(3)制裁があるか――という三つの要素を重視することになっている。今回も同じ基準が使われた」

 ――日本の判断基準とどのような違いがありますか。

 「今回、大きく影響したのは、ウーバーが運賃やルートをコントロールしている点。もう一つは、運転手が何回か配車を拒否すると登録から排除されるルールがある点。これが制裁にあたるとされた。日本でも、指揮命令があるかどうかは重要なポイントだが、制裁があるかどうかは重視されない」

 「2018年には、アプリを使った飲食の配達員について労働者にあたるという最高裁判決が出ている。この時も同じように制裁があることが重視された」

 ――フランスでは、ウーバーのようにプラットフォーム事業で働く人を保護する政策が進められているといわれています。今回の判決は、そうした政策を支えることになりますね。

 「実は、裁判所の考えと政府の方針は違う。政府は、働き手の保護をした上でプラットフォーム事業自体は拡大していこうとしている。そのためには、働き手に労働法を適用しない方が現実的だと考えている」

 「2019年に成立した(新しい交通手段の普及を目指す)モビリティー法では、契約解約のルールや適正な報酬決定方法などを盛り込んだ契約のひな型を作れば、事業者の雇用責任が問われにくくなっている」

 ――なぜ政府はプラットフォーム事業を拡大しようとしているのでしょう。

 「一つは、新しい技術を活用したビジネスとして、プラットフォーム事業を広げようという考えがある。マクロン大統領自身、大統領選挙でこの点をかなり主張していた」

 「もう一つは、雇用政策としてプラットフォーム事業を利用しようという考え方。これが労働省の立場だ。雇用されることを望んでいない人もいる。日本と違い、零細個人事業主向けの税制や社会保障があることも影響しているだろう」

 ――なぜ「雇用政策」になるのでしょうか。

 「二つ理由がある。一つは、いわゆる『闇労働』対策。零細個人事業主の中には、税金を払っていない人もいる。きちんと制度化することで、『闇労働』をなくそうという理由だ」

 「二つ目は、若年者の雇用対策だ。移民や低学歴の若い人の場合、普通の仕事がなかなか見つからない。プラットフォーム事業での働き方は確かに不安定だが、働く経験を積むことで、良質の雇用にステップアップさせていきたいというのが政府の意図だ」

 ――労働者と認めてもビジネスを広げることは可能では。

 「プラットフォーム事業は意外に利益がでない。フランスは社会保険負担が大きいので、労働者としてしまうとビジネスが成り立ちにくい」

 「ただ、働き手にステップアップしてもらうことが目的なので、プラットフォーム事業者には職業訓練を義務づけている。事業者は、訓練の費用を負担したり、訓練のための休みを有給でとらせたりしないといけない。フランスは資格社会なので、資格をとれば、その資格が必要な雇用につける可能性が出てくる。また、リスクが高い労災については一定の保護がある」

 「一方で、賃金や労働時間の規制はある程度、緩くてもしかたがないと考えられている」

 ――日本でも、ウーバー運転手のような働き方の規制が議論されています。参考になりますか。

 「フランスでは、プラットフォーム事業の社会的な位置づけをはっきりさせて、必要な政策が考えられている。日本では、『必要な者に必要な保護を』という議論をしているように映る。それ自体は必要なことだが、そもそもプラットフォーム事業をどう位置づけ、何のために規制するのか、もう少し大局的な議論があっても良いのではないか」

 ――今回の判決の影響は小さいのでしょうか。

 「ウーバーは慎重にやっているという見方もあった。ウーバーでも負けるとなると、事業者にとっては影響が大きい判決だろう。ただ、最高裁が今回判断したのはモビリティー法ができる前の事案。モビリティー法が出来た後の事案を、司法がどのように判断するかは注目される」

     *

 ほそかわ・りょう 1978年生まれ。労働政策研究・研修機構(JILPT)副主任研究員を経て2019年4月から現職。専門は日仏の労働法・労使関係。



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FUF通信40号発行しました。 [組合活動]


ゼネストとしてのステイホームを!


 コロナ禍において、さすがに良識ある人々は気づいているだろう。
 現社会で、あるいは日々の生活で、はたまた将来に向けて、コロナウイルスだけがそんなに危険で恐ろしく私たちの命を脅かすものではないことにである。世の中の持たざるものたちにとって生存を脅かすものは、コロナ以前からどころの騒ぎではないし、今、コロナ以前に見えていたことが見えなくされることが最も危険で恐ろしい。一言で言えば、すべてコロナのせいで、コロナで帳消しかという危機感である。しかしながら、コロナが明らかにしたこともあるし、改めてポストコロナ社会をわれわれのものとするしかないという確信も生まれた。だって、政府現政権のいう「緊急事態」というものが全国的に解かれてもなお、10万円の給付金どころかたった2枚のマスクすら未だに届いてないんだし!

 あたかも、コロナが前代未聞の驚異的ウイルスであるかのような大騒ぎの仕方を私個人はどうも受け入れ切れなかったが、ない知恵を絞りこの間の「騒ぎ」を熟考した結果、「ステイホーム」も、「不要不急」も、「オンライン」を取り入れた「新しい生活様式」もよかろう、「ソーシャルディスタンス」も誰かに責任ばかりをなすりつけない自律した人間関係を重んじるとすればそれもよしである。これまでも大震災や原発事故といった政府の力ではなんともできないままのことばかりであり、そのときになぜ一人ひとりの(持たざるものたち)の命を最優先すべき策を講じなかったのか、そして、その策とは命を優先すべく不要不急の労働や消費経済をストップすることではなかったか。
 政府の「場当たり」で「後手」対応を、われわれは反面教師としなければならない。
 今回の通信のテーマは、概ねそういったところか。






今回も盛りだくさんの通信を、どうぞお読みくださいませ。
カンパ、通信費など、ありがとうございます!

通信をお読みになりたい方はどうぞご連絡ください、
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「怠ける権利!」への所感 [雑多なつぶやき]

遅れてやって来た『怠ける権利!』への所感 Q


 このフリーターユニオン福岡では、おおよそ昨年の前半にかけて、小谷敏『怠ける権利!』を用いて学習会を行った。私は数回ほど出席しただけだが、同書自体は通読している。本来ならば、昨年の通信紙に学習会に参加しての感想などを寄せるべきであったろうが、自分の中で同書への評価が定まらない部分があり、結局まとまった原稿は書けずじまいとなった。
 学習会そのものは、テキストを超えた内容の議論が飛び出すなど、興味深いものだった。それに『怠ける権利!』という書物そのものも、ところどころに垣間見える甘さや曖昧さを除けば、首肯しうる内容の主張を持っていた。それでは私は何に引っかかっていたのか?
 その疑問に答える前に、私に私自身を定義させてほしい。私は――うつ病などのせいもあって――とっくに「人生から降りた」人間であり、その意味で、もうずっと「怠ける権利」を行使している人間である。この本はなるほど「怠ける権利」を称賛するものではある。が、率直に言って、この本が説くようにはとても生きられない、そう感じたのだ。
 この本にはある意味で、1990年代の「だめ連」の活動を思わせるところがある。当時はそれなりに話題になったはずの「だめ連」のことを覚えている人は、今どれくらいいるのだろうか?現在でもそのメンバーの幾人かは活動しているはずだが、風の便りを聞く程度である。
 ともあれ、当時社会に出ようとしていた私にとって(あるいは結局社会に出られずに閉塞するしかなかった私にとって)、「だめ連」関係の書籍は、一定の安らぎを与えてくれるものだった。
『怠ける権利!』にも似たような効果があるかもしれない。それは競争社会から脱落してもいい、働くことに至上の価値を置かなくてもいいというメッセージを孕んでいる。私がもう一世代若ければ、この本を読んで素直に反応できたのかもしれない。

 だが、私は今人生が始まってもいないのに、その折り返し地点を過ぎようとしている年齢にさしかかっている。ある詩人の比喩を借りれば、私の青春が暴風に吹きさらされたようなものだったとしたら、これからは自分の庭に残ったわずかな果実を、集めていかなくてはならない年齢である。そのような状況にあっては、本書の説く内容は実践的に難しい。
 また、私が疑問なのは、この本が結局のところ、自己責任論を否定しつつも、社会的な問題を個人の問題に還元してはいないか?ということだ。または、この本が、ポスト経済成長期の資本主義に、人々の生き方を合わせようとするものではないか?という点だ。
 上のような論評は、おそらくいささか乱暴なものだろう。本書ではベーシックインカムや就職氷河期世代(私がまさにその世代だ)の諸相など多岐にわたる話題を扱っているからだ。だが、多少強引にでも結論めいたものを出させてほしい。
 さしあたっての結論は二つである。一つには、広い意味での仲間たちと、グループを組むことが重要ではないだろうか?このフリーターユニオン福岡もその一つであるように。
 もう一つは、もし「怠ける権利」を社会に要求するとしたら、それに対する保障がなければいけないのではないだろうか?つまりは、個人の生き方に還元するのではなく、あくまでも「怠ける権利」を、社会に対する要求として捉えていくことが重要ではないだろうか?
 いずれの方向にせよ、それは資本主義社会の中で、別な生き方を模索していくものとなるであろうし、引いては社会のあり方をなにかしら変えようとするものであるはずだ。(Q)



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