SSブログ

fuf通信43号発行しました [組合活動]

FUF通信発行しました。
みなさん、我慢せずに生きていきましょう!
人と、仲間と!ともにです!


「コロナ禍」1年ー恐怖と不安の正体      

                          
 今だからこその労働組合とは何かを考えること、それはすべての「持たざるもの」に襲いかかっている恐怖と不安の正体を探ること、両者を結ぶことが今回のテーマである。
 この春、北九州がっこうユニオン・ういという小さな労働組合がその終わりを遂げた。1980年代後半より「君が代」強制にかかる処分と闘い、その後日教組から独立して1994年結成、これに私自身が関わってきた。その終わりにあたって、再雇用勤務1年を残した組合員がこれまでになく不安を訴えたと聞き及び、長く労働組合に所属しそれを失う瞬間に労働組合の意義を実感するものなのか、またこの時代、現社会であるからゆえの存在意義なのかと思いを馳せた。

 とりわけコロナ禍1年過ぎてフリーターユニオンの組合員はどうだっただろうか。

 今年3月はじめ、高度経済成長時の普通のサラリーマンとして生きていれば年金生活者であったろう酒の一滴も呑まない中洲歓楽街をただ職場としてきた組合員が「とうとうつぶれましたー」と電話をかけてきて、その後「さすがに1ヶ月家にこもってたら頭が痛くなって」と組合事務所に現れた。また60歳過ぎてもなお働き続ける嘱託職の女性組合員二人は、この春病気休職を余儀なくされた。60歳まで働いてもその職責や評価がまったく賃金に反映せず、いつまで不安定な雇用のままなのかという格差・差別的対応が原因であるし、そこにコロナというストレスが上乗せされている。女性ゆえの賃金格差も根底にはあるだろうし、せめてもの権利としての病気休職の取得であり、「休め、休め」と言いたい。

 昨年コロナ禍直後に訪れた85年生まれの組合員は、熊本の震災で仕事を失い行政の就労支援で得た仕事での不当な解雇相談だった。解決後、いくつもの入社にトライしながらも結局今も安定した仕事にはつけずその日稼ぎのアルバイトを重ねながらしたたかに生き延びている。これも現在の一つの生き方なのかと思う。そんな彼がバイト先で出会った大学生の労働相談にのり会社に電話をして掛け合ったりしている。一人職場でもアルバイトであっても、そこに仲間はいることを教えてくれた。

 それぞれ親の介護を抱え、転職を重ね、あるいは再就職もままならず精神を病みつつ不安定ながらも日々生活のために必死で生き続ける組合員にとって、コロナはさらなる不安と恐怖を与え続けることは疑いようもない。今や大企業であろうが公務員であろうが、資本制社会の「超氷河期」を持たざるものとして生きる日々は、結論から言えば、「コロナ」というウイルスだけに怯えて生きているのではないし、コロナはそのような社会の地続きの結果や象徴でもある。結論を言ってしまえば国家権力を持ってして解決するものではない。

 学習会のテキスト新書「労働組合とは何か」(2021年3月発行木下武著岩波)は、中世に起源を持つ労働組合の歴史をひもとくところから始まる。ギルドから延々と引き継がれた相互扶助と親睦の組織であり自治の重要性である。「労働者の相互扶助の機能はたんなる助け合いにとどまらない。仕事や生活で不安を抱えていると、賃金が安くても働こうとする者がでてくる。競争が生まれる。それはいま働いている者たちの足を引っ張ることになる。だから基金からの費用で生活をいくらか安定させようとした」これが、労働組合の基盤となった「友愛協会」だとする。自分だけ働きすぎたり、安い賃金で働こうとすることを制御し、競争を排除して助け合うことだという。歴史に学ぶべきことは多い。

 職場にたった一人の組合員であることの不安と恐怖は増大するばかり、その正体はまぎれもなく孤立感だろう。その一人ひとりが寄り合うフリーターユニオンという労働組合(合同労組)だからこそ、不安を超えて得るものは倍増する。すでに近代社会が始まったときに見えていた現在の状況、その真っ只中を生き延びるためにこそ労働組合は存在することを歴史も現実も教えてくれる。




 
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。